深谷宿の歴史を照らす常夜灯。
旧深谷宿 西常夜燈の特徴
深谷宿の面影を伝える、歴史深い常夜燈です。
中山道最大級の常夜灯は1840年に建立されました。
深谷市の指定文化財であり、目印としても機能しています。
中山道深谷宿京口枡形に富士講の人たちにより天保11(1840)年に建立。高さは約4m。
西の常夜灯は、夜になると今でも、灯がともされるそうです。天保11年(1840)に建立され、高さ4m!中山道の中では最大級の大きさらしいですよ。常夜灯には「天下泰平、国土安民、五穀成就」と刻まれていました。素敵な遺構ですね!
旧深谷宿、西の入口に設けられた中山道最大級の常夜灯。周辺の商店や酒造が良い感じで、宿場町だった頃の雰囲気を残す。
市指定文化財深谷宿常夜燈周囲の環境改善について (市長への手紙 内容と回答)更新日:2014年4月1日ご意見資料によれば深谷宿西と東の入口に旅人のための目印となった2つの常夜燈があります。徒歩2分の田所町には度々まいりますが、この燈は天保11年町衆13名で造られたものが現存しています。先人の遺産はよい環境で受け継ぐべきです。東にはありませんが、西のこの石造りの解説板はすでに判読しづらくなっています。さらに気になるのは、敷地の道路際は家庭用ゴミの分別仕分けの表示があり集積所になっていることです。文化財と収集所の取り合わせには毎回違和感を覚えます。中山道の''訪ね人''は最近増加しているようです。同好の方とも顔を合わせたり会話を交わすこともあります。また合い向かいには呑竜様もあることですし、気分よく街道歩きを楽しんでいただきたいものと思います。回答旧深谷宿常夜燈は、かつての深谷宿の東西の入口にあたる場所に立っており、出入口の目印と街灯の役目を果たしていました。現在は、市の文化的および観光資源である、中山道深谷宿の起点にある重要な文化財となっています。○○様のご指摘のとおり、隣接地がごみ収集所となってしまっていることにつきましては改善が必要と考えますので、自治会等利用者に対して移設ができないか要請して参ります。また、常夜燈の維持につきましては平成17年に基礎部分の補修工事を行っており、今後も、解説板を含め維持管理が必要となった場合には、早い段階で対応し大切に保存をして参りますので、ご理解をお願いいたします。
深谷市の指定文化財にもなっている西の常夜灯は中山道・深谷宿の入口の目印に建てられたそうです。なので東側にも常夜灯が有ります。今は見る影も無いですが江戸時代、深谷宿はとても賑わっていたそうです。この常夜灯の近くは朱色鮮やかな鐘楼堂が有ったり、今は珍しい火の見櫓が有ります。
渋沢栄一が生まれた天保11年(1840年)に造られた中仙道一の大きさの常夜灯。解説文には、下記のように記載されています。江戸時代中山道深谷宿の東と西の入口に常夜燈が建てられ、旅人の便がはかられた。天保11年(1840)4月建立。高さ約4メートルで、中山道筋最大級の常夜燈である。深谷宿の発展を祈願して、天下泰平・国土安民・五穀成就という銘文が刻まれている。これを建てたのは、江戸時代の中頃から盛んになった富士講の人たちで、塔身に透し彫りになっている㊂の文字はこの講の印である。毎夜点燈される常夜燈の燈明料として、永代燈明田三反が講の所有となっていた。天保14年には、深谷宿は約1.7キロの間に80軒もの旅籠があり、近くに中瀬河岸場をひかえ中山道きっての賑やかさであった。東の常夜燈は稲荷町にある。
| 名前 |
旧深谷宿 西常夜燈 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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深谷宿の面影を今に伝える常夜燈です。深谷宿の西の入り口にあります。現在見られる構造物は江戸時代のものだそうです。写真で見るより実物は以外と大きな印象です。上唐沢川が高崎線の南側に付け替えられる前は、この辺りを川が流れていたそうです。道路の形状がなんとなく川の跡の雰囲気を感じます。