反町館跡で新田義貞の歴史を感じよう。
新田荘遺跡(反町館跡)の特徴
反町館跡は、戦国時代末期の銃火器に対応した改修が見られます。
新田義貞公の居住地とも言われる歴史的な館跡です。
水堀と土塁が見られる貴重な城郭遺構です。
近世の城郭に引けを取らない堀の広さと土塁の高さを有する反町館は戦国時代末期の銃火器に対応した改修がうかがえます。特に土塁の折は射線を意識したもので側方射撃に配意した縄張りです。近隣の江田館跡は中世の弓矢等に対応した構造ですが、反町館は最終的に3重の土塁と堀で囲まれた絵図が残されており、銃火器に対応して拡張された事が推測されます。
水堀♬に土塁♬が見れる新田義貞公古城跡の石碑があった説明板によると..東側の池は道路改修で広くなったらしい。
お城の遺構としては水堀や土塁が確認できます。
新田義貞が居住していたと言われている。定かではない。現在は照明寺の境内で反町薬師として親しまれています。裏の堀には時期になると、蓮が綺麗に咲きます。
四方を掘りに囲まれており、戦国時代(鎌倉時代?)の城郭の風情が有ります。入り口側には土塁も残っていて当時は城は無かったようですが、充分な城郭の雰囲気を醸し出しています。平地であり規模から言っても館跡で、豊臣の大群に攻められたらひとたまりもなかったでしょう。現在は神社となっています。道路側に大きな藤棚があり、土塁跡には桜が植えられており、季節ごとにキレイな風景を楽しませてくれるでしょう。
新田義貞誕生地と言われているところの一つ。
| 名前 |
新田荘遺跡(反町館跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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反町館跡は、群馬県太田市新田反町町に位置する、新田荘を代表する歴史的な館跡です。現在は「新田荘遺跡」の一部として、国の史跡に指定されています。鎌倉時代から南北朝時代にかけて築造されたと考えられており、具体的な築造者は明確ではありませんが、新田義貞が成人後に居住した館跡と伝えられています。当時の新田義貞は、手狭な館と防備のための貯水が必要だったことから、地下水が豊富なこの地に平城を構えたとされています。平面形は凸字型をしており、東西約75mから138m、南北約115mの規模を持っていたとされています。かつては三重の堀を巡らせた堅固な平城であったと推定されています。室町時代には金山城の支城となり、戦国時代にはさらに城郭としての機能が拡張されたと考えられています。現在の館跡は「瑠璃山妙光院照明寺(通称:反町薬師)」の境内となっています。照明寺の本堂裏には、義貞が軍議を開いた際に蛙の声を静めたという伝承を持つ「不鳴の池(なかずのいけ)」や日本庭園が残されており、桜や藤の花の名所としても知られています。そして、画像にあるように、当時の面影を残す堀や土塁の一部が現存しています。