百万石通り沿い、教会の中へ。
高山右近像の特徴
石川四高記念館の向かいに位置し、アクセスしやすい立地です。
教会の中を進むと見つかる、隠れたスポットです。
彷徨ってしまった体験談もある、本当に探しがいのある銅像です。
■高山右近像石川県金沢市にある銅像。カトリック金沢教会の聖堂前にある高山右近の立位蔵。●歩道口から聖堂を見て何故か教会の境内に引かれたように足が向いていた。真っすぐゆっくり聖堂の前まで来た。建物自体は淡い煉瓦色で品を感じた。右手に花壇植栽が整った中に此の像を見た。すぐ右近と判ったがGoogleMap登録がまだ無いようだった。右近の諱は長房・通称右近大夫・洗礼名はジュースト・茶道では南坊と号した。像の左手に城下の右近邸にあった「南房石」が移され配されていた。良い寄り道となった。時間なく、後日再訪と決めたがその期は叶えられなかった。高岡古城公園にも高山右近像が昭和期に建立されている。高岡にある別宅から近く時々散歩する。【 右近略歴年表1573年、右近21歳、高槻城主になる。1585年、播磨明石に国替、船上城に居城。1587年、秀吉バテレン追放令、大名改易後は小西行長に匿われ小豆島へ。1587年、前田利家の保護を受け加賀金沢へ。1609年、高岡城築城は右近の設計か?1613年、徳川幕府キリスタン禁止令を機に右近一家が長崎からフィリピン・マニラへ出国。翌年、熱病にかかり死去。 】
| 名前 |
高山右近像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ナビ通りに行くと裏の柿木畠のお店エリアに行ってしまい彷徨ってしまったが、石川四高記念館の向かい、百万石通りに面している教会の中を進むと見つかる。知る限り、高山右近像は高槻市に二体、高岡城に一体、そしてここ金沢にも一体と全国に四体も像がある。戦国大名として、キリシタン大名としても有名な高山右近はバテレン追放令で高槻の領地を放棄したあと、前田利家に保護されていたが、その間、謹慎していたわけではなく、戦国武将として小田原攻めに前田軍として従軍したり、金沢城高岡城作りにも関わった。