銀杏の木が語る歴史。
八神城跡の特徴
八神城跡は河内源氏系の毛利家の居城で、歴史的な価値があります。
立派な銀杏の巨木があり、訪問者の目印として親しまれています。
1584年の小牧長久手の戦いと関連した重要な場所です。
11/19訪問遺構はないね。
民家の裏に有り通りからはわかりにくいかもしれません。樹齢300年と言う大銀杏を目印に到着しました。
立派な銀杏の木が立っています。時期が時期ならすごくキレイな感じです。遺構は残ってはいないが、明治維新後も藩主の一族の方が、城跡の一角に暮らしていたとのこと。クルマは銀杏の脇のスペースに停めてくれればいいと、近所の方が親切に教えてくれました。
八神城(やかみじょう)は、現在の岐阜県羽島市桑原町八神にあった日本の城である。岐阜県指定史跡。鎌倉時代、尾張国長岡庄石田郷(後の尾張国中島郡石田村)の司職である毛利氏が、居城を八神に移す(時期は不明)。毛利氏は戦国時代に中国地方を支配した毛利氏とは異なる。源氏の河内源氏の末裔という。毛利氏は、戦国時代、土岐氏、斎藤氏、織田氏等に仕えた後、尾張徳川家に仕え、八神城を中心とした一帯を治める。江戸時代は一国一城令により正式な城ではなくなったが、1868年(明治元年)まで残ったという。
付近に駐車場はありません。私は路駐してしまいました😅八神城跡には看板と大きなイチョウの木があります。本当に立派なイチョウの木です😄イチョウの葉が黄色く色づく頃にまたきたいですね😄下記、八神城と毛利氏について。毛利氏は八神城主として、鎌倉時代より尾張国長岡庄石田郷司職としてこの地方の地頭あるいは領主として幕末まで居住し、明治維新後もこの八神城跡の一角に居住していた。土岐・織田・豊臣・徳川に仕え、江戸時代には名古屋藩に所属していた。民家がすぐ近くにあり、写真を撮ったりするのも気が引けます。私は写真を数枚撮ってそそくさと立ち去りました😅城跡巡りも楽ではないですね😄
大きな銀杏の木があります。子孫が市議にでた。
八神城は河内源氏系統の毛利家の居城とされている、主な城主は毛利広盛毛利氏は土岐、斎藤、織田、尾張徳川重臣、藩士として仕え明治まで存続している1950年代まで八神城の縄張りがあったとされている。
銀杏の巨木最高。
イチョウが目印で分かり易い。石碑はなく、白杭、説明看板のみ。季節柄、銀杏が一杯落ちていて拾いたかったが取り敢えず止めた。
名前 |
八神城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
058-272-1111 |
住所 |
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HP |
https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/17768/siseki/yagami.html |
評価 |
3.2 |
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元々は大須観音がこの辺りにあったそうです。水害が多かったため、家康が今の大須観音に移した後、毛利さんのご先祖が土岐からこちらに移り住んだのが始まりなのだとか。樹齢300年の銀杏の木が見事です。