桶狭間戦いの歴史を辿る。
丸根砦跡の特徴
織田信長が築いた丸根砦跡で、桶狭間の戦いの前哨戦として名高いです。
大高城跡と鷲津砦と並び、歴史を感じながら散策できるスポットです。
住宅街の中の急な坂を登ると、美しい丘陵の景色が楽しめます。
この辺は傾斜の急な坂が有り歩いて行くのが結構大変でした。坂の上の住宅地の中の雑木林に有りました。雑木林は足場があまり良くなく夏場は虫がいたりして行くの大変そうでした。
⚔️桶狭間の戦い史跡巡り🐎大高城址~丸根砦跡~鷲津砦跡🚶織田方が対今川を目的に構築した付城❗️⭐️1559年、今川方に成った大高城と鳴海城を牽制・監視などを目的に大高川をはさんで大高城対岸の丘陵南端に造営、同じく丘陵北端に鷲津砦が造られた付城⚔️1560年、今川義元が尾張への進撃開始、鷲津砦と共に対今川の最前線拠点、丸根砦には織田信長の重臣/佐久間盛重が守将として着任、桶狭間の戦いの前哨戦として大高城から松平元康(後の徳川家康)が出撃し丸根砦に襲いかかる🐎織田方の城方/佐久間勢も松平勢に突撃するなど大奮戦、松平勢と一進一退の攻防、最後は多勢無勢、丸根砦は陥落し佐久間盛重以下織田方は討死、松平勢が占拠した❗️桶狭間で今川義元討死、今川・松平勢は駿河・三河へ撤収、その後織田・松平の同盟関係成立し存在意義失った丸根砦は打ち捨てられた😅⭐️縄張り図を拝見すると丸いお椀型の小山、だから丸根って名前なのかと勝手に納得🤔西側には大高城が良く見えます、周りはぐるりと住宅街で近接してます、周りの風景撮る際は個人のご自宅に配慮を⁉️⭐️国指定史跡⭐️「大高城跡 附/丸根砦跡 鷲津砦跡」
信長が大高城攻めに際に築いた砦。現在は林の中に丸根砦を示す石碑があるのみです。
鷲津砦よりは少しだけそれらしいような気がした。とは言え、決して褒めているわけではない。(2022_01_03)
国の史跡に指定されている、織田信長が大高城攻めに築城した有名な砦跡です。住宅地の中よく保存されていると思いました。
見落としそうでした。民家の中に急に看板が現れ、案内図を見て砦を上がっても尚、この碑は見つけられなかったです。砦を少し下がった場所にあります。
なぜこの砦が信長にも家康にも重要だったのか、映画を見て下さい。
JR大高駅から大高緑地公園🎄⛲に向かって1km左手の山に丸根砦がありました☀️住宅地の急な坂を100m登った右手にありました❗鷲津砦と並んで大高城趾が望めました☺️ 🏯大高城が今川義元の手に落ちたあと、織田信長によって大高城を包囲するように築かれた砦の一つで、永祿2年(1559年)大高城の東側約800m、鳴海から延びる丘陵の先端に築かれた。当時の今川方の基地である豊明の🏯沓掛城から大高城への支援路を見下ろす位置にあり、現況は東西36m、南北28mの砦の周囲に幅3.6mの外堀をめぐらしている。桶狭間の戦いのときには、佐久間盛重を将とした織田方が立てこもったが、大高城への兵糧入れを命ぜられた松平元康(徳川家康)が鉄砲を用いて攻撃し、激戦の後守備側は全滅したといわれる。大高城跡とともに昭和13年国の指定史跡とされている。現在砦には、「丸根砦跡」の碑石が立つ。
こちらも大高城に対して織田方が築いた付城の一つです。一般道よりかなり急な坂を登ったところにあります。こちらも当時の遺構らしきものは特に見られません。頂上には地元の人たちによって、砦の攻防戦で戦死した将兵の慰霊碑が建てられています。鷲津砦跡には巨大な表忠碑がありましたが、それに対抗して建てられたのでしょうか?鷲津砦跡同様、木々が多くて頂上からは大高城跡は見えませんが、一段下がった場所からは大高城跡がよく見えます。
名前 |
丸根砦跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-625-3875 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.4 |
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着いたのが夕方だったので碑までが真っ暗でした。昼に行きましょう(笑)日本史には必ず登場する、重要な砦なので、事前に学習しておくと楽しめると思います。