密かに佇む菅原神社、 脇本城跡へようこそ!
菅原神社の特徴
脇本城跡地に佇む、歴史を感じる菅原神社です。
天神さまの細葉の椿が、参拝者を魅了しています。
静かな雰囲気の中で、心を落ち着けられる場所です。
密かに佇む菅原神社と脇本城跡地。思いのほか、跡地の開放感は良かったです。ぼーっとしたい時にはまた訪れるかもしれません。
Apr'14.2021 参拝並びに画像撮影。湊安東氏、脇本施政時代下の本拠地での氏神さまだけあり、大規模ではないものの当時最高の技術と材質とを以って贅を凝らしたことが窺える社殿であった。墨塗りして陰影を際立てる手法も、今尚、いや今でこそバエている。画像たくさん撮ったので、宜しければ参考にしていただき、のち直に見ていただきたい。以下転載社伝によれば、天正19年安倍実季再建とあるが、実季以前は「安東太郎この地に脇本城築城の際、男鹿鎮護の総社となし神領160石を寄進」とあり、安東氏が男鹿に勢力を持つようになり、その一拠点として脇本に築城し、氏神として祀ったものである。安倍実季の国替以降、脇本郷に於て維持経営し現在に至る。此の間、安東氏時代獅子廻村と称し、毎年3月と8月に、当社の午王獅子が男鹿島中・潟辺(湖東部)・能代桧山方面に迄廻っている。更に天正3年、牛王天王社(天王町東湖八坂神社)祭事用の竹12本、秋田城之介より献納方仰せ付けられ、以来400年後の現在も、毎年7月6日統人2人が往復徒歩で竹迎えに来る。この竹剪り神事を含めた統人行事が、国の重要民俗文化財に指定されている。佐竹藩主の参拝も行われ、佐竹義宣公は寛永4年御紋灯篭一対奉納、9代義和公は寛政4年同9年文化年中の参拝が記録され、初穂料扇子1本奉納されている。明治44年村社神明社を合併す。昭和54年不慮の災禍により社殿を焼失、現社殿は昭和57年に竣工されたものである。
2020年11月22日に参拝しました。天神様の細葉の椿が有名だそうです。本殿から左側奥に進むと有りました。男鹿の地を治めていた安東氏は、前九年の役で破れた安倍氏につながると聞きました。その後、安藤になり、安東に変わったとか…。安東氏ゆかりの神社だと聞きました。
脇本城跡と天神さまの細葉の椿。戦国時代に秋田地域を支配していた安東氏の拠点的山城として 国の史跡に指定されている。生鼻崎は海上交通の要所。日本海八郎潟へ通じるところ そして陸上交通の要所の天下道と言われていて城作りには最適な環境だった。標高も100m前後あることなどから 城としては最適だった。また江戸時代には紀行家の菅谷真澄も訪れ 絵図を残すとともに 城跡内に鎮座する菅原神社の細葉の椿の古木について記録を残している。これらは地域の貴重な文化財として大切に守られている。
名前 |
菅原神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0185-25-3749 |
住所 |
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HP |
http://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/tatsujin_etc/kennsaku/oga/20_sugawara.html |
評価 |
4.2 |
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2023.2.5の訪問。脇本城跡の大土塁脇の天下道を下り途中の山道から向かいました。雪の中の神社もなかなか趣があります。