周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
浜田謹吾 〜大村公園内の謹吾少年像〜明治元年(1868)7月27日、戊辰戦争において幕府側 であった奥羽諸藩を追討する北伐軍として、大村藩 の三番隊326名が新蔵波止から出発しました。この中 の第2番手の鼓手として15歳の少年、浜田謹吾がい ました。この派遣隊は8月11日、秋田県男鹿半島の舟 川港に上陸し、各地を転戦しました。9月14日・15日の 刈和野の戦いが山場で、大村藩兵は吹雪をついて悪 戦苦闘し、戦いを勝利に導いています。後に賞典録3万石という破格の恩典を賜うことができ たのは、この戦いによって抜群の功績が認められた ことも一つの理由です。謹吾少年は15日の戦いで壮 烈な戦死を遂げました。血で染まった衣服の襟に、わが子の出征を励ますた めに書きしるした歌が縫い込んでありました。「二葉より手くれ水くれ待つ花の君が御為に咲けやこの時」これを見た現地の 人々はたいへん感激し、手厚く葬りました。昭和10年頃、戊辰事蹟保存会の方々の手で、角館の常光院内官軍基地に歌碑が 建てられました。この縁で昭和54年秋田県角館町と姉妹都市を結び友好を深めています。(大村市ホームページ より)なお、この像と全く同じものが角館町神明社に建立されているとのことです。敵味方、官軍賊軍の別なく人々の心を打ったのでしょうね。