神秘の酒折宮、パワースポット。
酒折宮の特徴
酒折宮は日本武尊を祀る歴史ある神社です。
境内には連歌発祥の地としての文化的魅力があります。
不老園の梅を楽しんだ後、神社での参拝ができます。
特別な時期以外には参拝客はいない。平坦なので参拝しやすい。
インターネットで調べて参拝させて頂いた山梨にある日本武尊命様を祀る小高い山にある神社です。神社の入口は踏切側と東側の2つあります。小さいお宮ですが社務所はあります。駐車場は踏切の近くにあります。石碑が2つあり日本武尊命について書いてあります。古事記や日本書記に書いてある神社のようです。参拝させて頂いた日は神社の祭行事があり神社関係者が1人いて祭で余ったお弁当を家族分頂けました。旅先で立ち寄らせて頂いただけなのに人の優さを知るご利益を頂けました。本当にありがとうございました。
いつも近くには行っていたのに、お参りすることがありませんでした。日本武尊様奉られ、日本連歌発祥の地とされる大変歴史のある宮。こじんまりしていますが、とても心地よい場所。社務所があり、御朱印もいただきました。線路渡り、右側に駐車場あり、酒折駅から徒歩7分位。
2022年12月29日 甲府駅から1駅🚋 初めてのお参り😊サイトで社殿を拝見して行ってみたいと思いました。忙しい中 御朱印書いて頂きありがとうございました。良いお年を…と声をかけて頂き嬉しくなりました😊
静かな森の中にある宮で近かくには梅の名所である不老園があります連歌の発祥の地として文人墨客の訪れる人が多いそうです。又紅葉も綺麗でした。
甲府駅から善光寺小山田信茂墓を通り酒折駅へ抜ける際に発見日本武尊が東征の帰りに寄ったとか連歌発祥の地で本居宣長・山県大弐の漢文碑有りました。酒折駅から10分以内善光寺程派手な建物では有りませんが貴重。
小さい神社ですが、ヤマトタケルを祭神にするだけあり、パワースポットとして有名らしいです。御朱印をいただいてから、巫女様とお話しをしていましたが、帰り際お菓子をいただきました。お昼のたしになり助かりました。
酒折駅の最寄り駅神社。日本武尊命が祀られているのかいたのか。そういう関係の碑などが有ります。重要な碑が2つ有ります。江戸時代のこの手の碑は、なかなか見ないけど昔は結構あったのかもしれないです。碑自体は、信仰の対象ではないから大事にされづらいかもしれないです。神社自体、落ち着いた感じで良いかと。駅近て、電車が近くを通ります。場所は、JR「酒折駅」から歩いて7分の距離。甲斐善光寺詣での折、立ち寄りました。
何回か前は通りましたがしっかりお参りしたのは初めてでした。消毒液もしっかり用意されていました。ヒグラシが沢山鳴いていてちょっぴり夏の終わりも感じられました。けっして大きくなく地味ですがその分歴史を感じました。落ち着けます。
| 名前 |
酒折宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
055-231-2690 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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酒折宮(さかおりのみや)の創建年代は不明です。和銅5年(712)に編纂された古事記及び養老4年(720)に編纂された日本書記に記載のある神社です。 祭神は古代日本の国土を平定した日本武尊(72~133)です。日本武尊は、第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父です。日本武尊が東夷征討の帰路、塩海足尼(しおみのすくね:甲斐国造)を召して、「汝はこの国を開き、益を起こし国民を育てよ、わが行末はここに鎮座すべし」といわれ、叔母である倭姫(やまとひめ:垂仁天皇の皇女)から授けられた火打嚢(ひうちぶくろ:腰に下げる装身具の一つで,皮,ラシャ、高級織物でつくられ,口を緒でくくり,中にお守札,金銭,印形などを入れるのに用いたもの)を賜わった。のち社殿を建立し、その火打嚢を御霊代として奉祀したと伝えられています。日本武尊は、東夷征討の帰路、酒折宮においでになった。灯をともしお食事をされ、この夜、歌を作って従者にお尋ねになって、こう言われた。新治や筑波を過ぎて幾夜寝ただろうか(新治筑波過幾夜寝)従者は答えられなかった。御火焚の者が、皇子の歌の後を続けて歌って、日数を重ねて、夜は九度、昼は十日でございます(計夜九夜日十日)とお答えした。御火焚の賢いのを誉めて、厚く褒美を与えられた。この時の歌のやりとりが、複数の作者によって詩を連作する連歌の発祥であると伝えられています。