風呂登山口から虎丸城跡へ!
虎丸城跡の特徴
約1時間の登り応えがあり、登城の満足感も抜群です。
三本松駅からのアクセスが便利で、気軽に訪れることができます。
風呂谷側からの登城ルートが特におすすめで、丘の探索が楽しめます。
三本松駅から歩いて登城。風呂集落からではなく、別府・新宮池コースを選択しました。ここは、長宗我部元親と争った十河存保が勝瑞城を明け渡して、退去した城として知られています。頂上付近は急登になっているので、注意が必要です。特に下りで何度も滑りそうになりました。
今回、虎丸城跡に登ったのは風呂谷側からです。乗用車で行きますと石風呂跡石碑の斜め前に弘海寺と云う寺院がありましたが廃寺と成り現在は登山用駐車場とトイレが整備されています。そこから歩き始め舗装された道を案内看板通りに行けば大丈夫です。砂防ダムを越えた辺りから本格的な山登りです。登山道はしっかり踏み締められていますので大丈夫ですが、登山靴のような歩き易く滑らない物が良いですね。最後の登り(ロープあり)はかなりの急登坂で乾いていても滑ります。歴史的な事は他の方が書かれていますのでパスし縄張りについて書き込みます。虎丸山は特異な山容を持つ急峻な山(419m)で守備する側、攻める側も厄介な場所に築城しているところから南北朝期に最初の築城と思われます。高い山、住民が象徴的な山と崇めている、また宗教的な権威がある等が最適の築城場所と考えてられていました。最初の築城は山頂での籠城戦を最大の防御と考え、山頂曲輪のみの城郭と思われ、現在の山頂周辺遺構群は最末期(天正期か)に存在した防御施設群が見られる。城郭遺構は山頂遺構群(最大面積の本丸曲輪、畝状竪堀群、詰曲輪、坂虎口、虎口、空堀等々)を中心に東西南北に延びる尾根上遺構群(各尾根に曲輪、堡塁、堀切、竪堀、土橋、一本橋、土塁、前衛空間等々)を配置、狭い山頂部を最大限に広げた縄張り構成が見られます。現在の城郭遺構群それぞれの尾根上曲輪群での攻防を想定した防御拠点を配置、中心の山頂曲輪が直接攻撃にさらされない工夫が見られ山頂曲輪群を核とした「円形状外郭ライン」の想定が見られる。「外郭ライン」防御構想が攻防時最大効果を発揮するには最前線の東西南北尾根上拠点曲輪群の防御強度が重要であるが、当城には堡塁、畝状竪堀群、詰曲輪、一本橋等々の天正期山城での最高水準の防御施設が見られ往時の最新鋭城郭であります。以上の文書は大内町史(補遺)を参考にしています。西讃の天霧城跡、中讃の勝賀城跡、東讃の虎丸城跡と大変良い状態で残っている思います。
風呂側の弘海寺跡の駐車場に止めさせてもらい登城しました。舗装路が砂防ダムまで続きます。登山道の半分すぎあたりの沢を越えると傾斜がきつくなる印象です。本丸手前はロープが下ろされるような急坂でした。お社のある本丸を中心に四方に尾根がありました。畝状竪堀が北側に設定されてる縄張でしたが、北西の2条しか素人目には見えませんでした。西側に降りると3カ所堀切見られました。南側は1カ所過ぎると藪化していて進めませんでした。
風呂登山口を選択!!次回は、別所登山口から登り風呂登山口で下山します。
名前 |
虎丸城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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登頂までは約1時間ほどで後半は勾配がきつくなるので登り応えあります。景色は祠のある場所からしか見えませんが眺めは良いです。頂上には簡易的な小屋とトイレがありますが現在トイレは使用禁止になっています。