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名前 |
縄文通り 道路愛称説明版 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
説明文より縄文通り昭和三十二年九月三日、早稲田神社境内地造成工事中に発見された貝塚を調査したところ、貝塚底部より中国、四国、近畿地方で当時としては最初の弥生時代の土拡式墳墓(座位掘葬)が発掘された。また、発掘された人間のあごの骨は、成人の男子であることが判った。墓の中及び貝塚からは、土器破片、やじり、たたき石等が発見されている。更に、翌年の昭和三十三年三月、造成工事中に七、八千年前の縄文早期の遺跡がみつかり多数の土器破片、石やじり等の石器を発掘した。また、石器類は太田川の源流付近で採石されたものが使われていることから、太田川上流と交流があったものと思われる。旧市内では、最も古い時期から人が住んでいた広島人故郷の地でもあり、牛田の歴史の始まりの場所でもあることから「縄文通り」と道路愛称を名付けた。この地には、安芸国の守護、銀山城主武田元繁によって、一五一一年(永正八年)早稲田神社が建てられ牛田地域一円の氏神様として地域の方に祀られている。平成二十六年三月牛田学区社会福祉協議会作成。