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名前 |
忠魂碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
忠魂碑の周りに、水が入った500のペットボトルが、ストーンヘンジのように取り囲んでいた。南の国で亡くなった帝国陸軍の兵士の魂を鎮めるために、生き残って日本へ帰った兵士たちが作ったのだ。近畿中央呼吸器センターが、元は陸軍病院の分院であったり、部分的には結核療養所であった時代、警察官の学校は憲兵学校で、金岡公園は京都や大阪の徴兵を訓練する場所であった。労災病院だって、陸軍病院を退院して入院する人が多かった。忠魂碑は、徴兵を訓練し場所を借りて建てられたのであった。「のどが渇いたよ~」そんな魂の叫びが聞こえるかもね。裏書をそのままここに書き写してみようかな。『昭和十二年十月十六日創設大阪陸軍病院金岡分院蔦爾来戦士軍属之既収療子・・・(中略)・・・大阪師団嘱託中川良悦師興坂野素平氏敷設・・・(略)・・・昭和十六年九月一日 藤澤章誌 田中英書』忠魂碑の左に書かれているのは、次の文字である。『大阪陸軍病院金岡分院長陸軍軍醫中佐従五位笹川竹蔵』