南千住駅が語る松尾芭蕉。
松尾 芭蕉 像の特徴
南千住駅のロータリーに立つ芭蕉像は圧巻の存在感です。
行春や 鳥啼き魚の 目は泪を詠んだ芭蕉の姿が表現されています。
松尾芭蕉が旅立った地、千住を象徴する重要なスポットです。
芭蕉さんの像は数あれど、出発地だと思うと思いもひとしお。
なんとなくの散歩で遭遇。最初は水戸黄門?と勘違い。もう少し注目されても良いかな。と。素敵な像です。
南千住駅西口に建つ、松尾芭蕉の像。芭蕉は今から330年余り前の元禄2年(1698)3月27日。丁度今の頃、この地から奥の細道へ旅立ちました。像の後ろには、東京駅八重洲口から来た都バスが停まっています。
渋谷のハチ公像池袋のいけふくろう像南千住の松尾芭蕉像三大待ち合わせ場所ですね😁(確証はありませんが…)
縁の地として千住近辺がかなり芭蕉を推している。
南千住駅から周りです。
松尾芭蕉がそれまで住んでいた「芭蕉庵」を引き払い『奥の細道』の旅に出発したのが、ここ千住です。芭蕉は「芭蕉庵」のあった深川から船に乗り、千住大橋で下船して行春や 鳥啼魚の目は泪(晩春に鳥は別れを惜しんで泣き、魚の目にも涙が浮かんでいるよ)という句を詠み、見送りの人々に別れを告げました。この地でこの句を詠むために携帯用の筆記具「矢立」を使い始め、旅が始まりました。芭蕉は最終的に600里(2400km)、日数にしておよそ150日間をかけて全行程をまわりました。
矢立初めの句「行春や 鳥啼き魚の 目は泪」(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)を詠む芭蕉の姿を表現した像とのことです❗️※「矢立(やたて)」は、筆と墨壺を組み合わせた携帯用の筆記用具のこと。松尾芭蕉(1644-1694)は江戸時代前期の俳人で、出身は伊賀国上野赤坂(現在の三重県伊賀市)。京都の北村季吟(きたむらきぎん:1625-1705)に師事(しじ)して俳諧の道に入り、延宝8年(1680年)、江戸日本橋から深川に居を移す。※師事(しじ)→師として仕え、教えを受けること。弟子の河合曾良(かわいそら)を伴って旅した「おくのほそ道」は、約5ヶ月、600里(約2,400km)の旅だったそうです❗️※1里(いちり)は約3.93km今年(2020年)6月に、「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」で有名な宝珠山 立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)、通称「山寺(やまでら)」を訪れてから、松尾芭蕉という人に興味を持ち、先日「江東区芭蕉記念館」を訪れました❗️南千住駅前に芭蕉像があることは数ヶ月前に知り、今回、拝見させていただきました❗️芭蕉は51歳で生涯を閉じたのですが、殆どの肖像画などはそれよりも年老いた表情のものが多く、この南千住駅前の芭蕉像は今まで見た中で一番良い表情をしていると自分は思います❗️😁👍あと、江東区の清澄白河(きよすみしらかわ)駅の近くにある「清澄庭園(きよすみていえん)」内と、「深川江戸資料館」内、それと「芭蕉記念館」の庭園に、芭蕉の作品の中で最も有名な「古池(ふるいけ)や 蛙(かはづ)飛びこむ 水の音」の句碑があります❗️いずれの句も、内容を調べましたが、自分のような凡人には全くイメージすることが出来ない😅、奥深い感性だな〜と思いました❗️他の方々がクチコミに書かれている「素戔雄(すさのお)神社⛩」や「大橋公園」などへも、いずれは訪れたいと思っています❗️
千住大橋公園内(足立区)にも、「矢立初めの碑」がありますが、ここ、南千住駅前ロータリー(荒川区)には芭蕉の銅像がたっています。なお、文政3(1820)年の句碑が、素盞雄神社境内(荒川区南千住)にあります。
名前 |
松尾 芭蕉 像 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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HP |
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/a015/shisetsuannai/sonota/sonota082.html |
評価 |
3.6 |
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平野千里氏の彫刻作品の芭蕉像で、南千住駅ロータリーにある。