赤村の神社で心安らぐ。
我鹿八幡神社(あかはちまんじんじゃ)は、平成筑豊鉄道 油須原駅の南2.4kmほどの赤村赤(旧田川郡赤村大字赤字仲山)の集落の中に鎮座している神社です。旧社格は郷社です。由緒は不詳ですが、9世紀頃 豊後國の宇佐神宮から八幡神を勧請したといわれていて、赤村と添田町の境にある吾勝山(現在の岩石山)に降臨したと伝承が残る吾勝尊など7神体が御祭神です。戦国時代の兵乱で焼失しましたが、慶長20年(1615年)小倉藩主の細川忠興が現在地に遷座しました。一の鳥居は、昭和59年(1984年)建立の珍しい青銅製です。『本殿(赤村指定有形文化財)』は、朱色で、村内で残る木造建築物の中で最古で、福岡県内でも類例の少ない貴重なものです。1700年代後期の建築様式とされ、妻飾りは二重虹梁大瓶束、各所に象や龍の彫刻をあしらった装飾は非常に豪壮な特徴をしています。御祭神は、神功皇后、保食神、応神天皇、姫大神、大山祇命、猿田彦命です。境内社として、須佐神社、天満宮があります。毎年5月4、5日に開催される『神幸祭』では、高さ20mの山車が必見で、かつて大山祭と呼ばれた名称の相応しい容貌です。山車には見事な彫刻が施され、色鮮やかな幟旗や馬簾(ばれん)が豊穣の祈りを捧げます。元和元年(1615年)小倉藩主・細川忠興が神社を現在の地に移す際におこなわれた神事が起源とされています。約400年以上前から続く伝統行事で、今も人々に親しまれ、五穀豊穣、天下泰平を祈る大切な行事として受け継がれています。神社のある「赤(あか)」という地名は、かつてあった豊後小倉藩の田川郡(たがわぐん)赤村に由来します。明治20年(1887年)上赤村、下赤村、山浦村が合併して赤村が発足しました。明治22年(1889年)赤村、内田村が合併して改めて赤村が発足しました。筑豊地域の中では唯一、町村制施行以降に市町村合併も町制施行もしたことの無い村です。令和5年(2023年)10月の推計人口は2,592人です。村名にもなっている「赤」は、水銀(辰砂)の朱であり、金銀銅の精錬に欠かせない重要資源の産地であったことを意味しています。八幡宮は、全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とします。御祭神は武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めた誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)です。応神天皇は、皇室の守護神(天照大神に次ぐ)で、出世開運の神ともいわれ、筋肉隆々で逞しく、実存性が高い最古の天皇といわれています。
名前 |
我鹿八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
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県道34から耕作地の中を走る県道418を川沿いに上ると右手奥に神社は鎮座している。二つの鳥居を抜けると時代を感じさせる唐破風屋根の拝殿が見える。神輿蔵が地域挙げての祭り風景をを連想させてくれる。