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名前 |
茶堂の鼻 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
徳島県海陽町浅川にある茶堂の鼻(ちゃどうのはな)は、地元で古くから語り継がれる歴史や伝承が詰まった場所だ。もともと「鼻」と呼ばれる小さな岬の突端に位置しており、その名の通り、海に向かって小高く突き出た地形をしている。「茶堂(ちゃどう)」というのは、四国地方の山道や村境に設置されることが多い小さな堂のことを指している。かつて四国各地では、旅人や遍路の安全を願って地域の人たちが交代で茶菓を振る舞う習慣があり、そうした場となった祠堂が「茶堂」と呼ばれるようになったという。つまり茶堂の鼻も、かつてはこのような茶堂が設置されていた場所だと伝えられている。徳島県内の記録によれば、浅川地区を通る古い道筋には複数の茶堂があったとされるが、茶堂の鼻にあった茶堂そのものの建物や遺構は現在確認できない。しかしながら、徳島県立文書館の古写真には「浅川村茶堂の鼻」の名称が記録されているため、少なくとも江戸末期から明治初期頃までは、この地で実際に茶堂が旅人の憩いの場となっていたことは間違いなさそうだ。歴史的にこの地域は、阿波国(現在の徳島県)の東端に位置し、古くから漁業や海運、さらには四国八十八箇所霊場を巡る遍路道の一部としても栄えていた。また、茶堂の鼻を中心とする浅川地区は、江戸時代末期の安政南海地震(1854年)の際に津波被害を受けた場所でもある。この津波は最大で9メートルほどに達し、浅川全域が浸水。地区内にある千光寺(せんこうじ)、江音寺(こうおんじ)、東泉寺(とうせんじ)といった寺院でも床上浸水が1メートルほど発生したと記録されている。特に千光寺に現存する絵馬や境内に残る石碑には、当時の津波被害の様子が詳しく刻まれており、現地の人々が繰り返される災害の記憶を後世へ伝えようとした意志が伺える。茶堂の鼻の周辺にも、この津波を語り継ぐ石碑や供養碑が点在している。また、この地域には、四国地方に広く語られる妖怪伝承が残っていることも特徴だ。茶堂の鼻に伝わる代表的な妖怪が「尻切れ馬(しりきれうま)」である。この尻切れ馬という妖怪は、その名の通り、後ろ半分が欠けている馬の姿をしたものだと言われる。地域によっては「牛鬼(うしおに)」とも呼ばれることがあり、夜道で旅人を追いかけ、翌朝には家畜が真っ二つに裂かれているという奇怪な言い伝えがある。尻切れ馬の話は、平安時代末期の源平合戦の落ち武者伝説と結びつき、敗れた武士たちの無念の思いが馬の姿を借りて現れたという民間信仰に由来すると推測されている。茶堂の鼻の周辺には、こうした歴史や伝承に関連した史跡が多く残る。例えば、岬の付け根近くに位置する御﨑神社(みさきじんじゃ)や、前述した千光寺、江音寺、東泉寺には津波の碑が立ち並び、地域の記憶を今に伝えている。また、この地域で有名な鯖大師本坊(さばだいしほんぼう)は、四国別格二十霊場第四番札所として知られ、行基菩薩によって開基されたと伝わる古い寺院だ。現在の建物は後世の再建だが、古くからの信仰の中心地であり、茶堂の鼻周辺の旧街道筋と海岸部を結ぶ道筋にあるため、地域の歴史的・文化的な文脈の中で深い繋がりがあると考えられる。このように茶堂の鼻という一つの場所を掘り下げるだけで、地域に刻まれた様々な歴史、伝承、文化が浮かび上がってくる。小さな岬でありながら、地域の記憶を繋ぎ止め、訪れる人にその土地が持つ深みを静かに語りかけてくるような場所でもある。今後も地域の人々によってその歴史が守られ、次世代へ伝えられていくことを願いたい。