江戸時代の息吹、百間蔵の魅力。
百間蔵跡と津留穀留卸番所跡の特徴
百間蔵は池田輝政によって移築された歴史的な建物です。
江戸時代初期の重要な遺跡として文化財に指定されています。
津留穀留卸番所跡は貴重な石碑が立つ場所です。
百間蔵跡と津留穀留卸番所跡百間蔵は、江戸時代初期姫路藩主の池田輝政(生誕1565年1月31日~死没1613年3月16日)が、京の伏見にあったものを移して増築したと言われている。北にあったものは52間、南のものは48間と記録されている。加古川を下る物資はすべて高砂に運び込まれたため、蔵は姫路藩の倉庫としてばかりではなく、諸藩や旗本の年貢米の集積地として繁栄した。また、百間蔵のうちの南蔵の南側に津留穀留卸番所が建てられた。姫路藩では、年貢納入以前の米の売買、流通を一切禁止する津留穀留を行っていたため、加古川上流から下って高砂に来る川舟を対象として、米の移出入を監視した。出典・高砂みなとまちづくり構想推進協議会 編集委員会。
| 名前 |
百間蔵跡と津留穀留卸番所跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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百間蔵、津留穀留卸番所跡の石碑です。ひめじ藩主、池田輝政さんが奮闘されました。