成美学園近くの鎮守、七五三も!
愛宕神社の特徴
取手駅からアクセスが良好で、気軽に訪れやすい場所にあります。
本殿の奥には多様な石が美しく並んでおり、見応えがあります。
地元の鎮守様として親しまれ、七五三の参拝者にも歴史があります。
本殿の奥に所狭しと様々な石が並べられています。稲荷明神、宮崎神社、出羽三山供養塔、月待供養塔、地蔵菩薩、石灯篭、石手水…等々。近隣の土地開発により行き場を失った石たちがここに集められてきたのでしょう。まさに神仏習合、なんとも懐の広い神社さんです。地元の発展を見届けてきた石たちは、はたして何を思うや…。窮屈そうで気の毒な気もしますが、きっと賑やかに宴会でもしているのではないでしょうか(笑)。取手市の民間信仰を知るうえで貴重な資料になりそうです。ところで、ひときわ目立つカラス天狗様。愛宕神社なので当然といえば当然の存在ですが、年代は不詳。かなり古そうですが、それにしても時代を超えた、なかなかのイケメンですねえ。
資料によると、■延宝二年(1674 年)一村をなしていた大鹿取手村は取手村と大鹿村に分村した。■天和元年~元禄元年(1681~1688 年)水戸街道の付け替えに伴い、宿駅として整備されてきた取手宿も、宿内の人馬だけでは日常的な公用通行をさばくことができず、大鹿村の住民を加え.水戸街道の通行に備え、ともに人馬を動員して伝馬役を勤めていた。■そのころの大鹿村の集落は、佐倉道に沿って形成され、これは現在の弘経寺や競輪場の付近で、大鹿山長禅寺もここにあった。■大鹿村の住民は、約1.2㎞離れた取手宿まで、昼夜の伝馬役を勤めることは不便であるとし、元禄六年(1693年)に取手宿の町並に連続する水戸街道沿いに移住して新町を形成した。■その際、集落の守護神、 北口は(妙見様)、添((曾江?)は(弁天様)、仲間台は(妙見様)と共に移住した。■元禄十五年(1702年) 現在の愛宕神社前の未だ無かった国道6号道の中央付近の高台に愛宕神社を創建し、集落の守護神とともに祀った。■それから260年後の昭和三十七年(1962 年)に国道6号バイパス設置に伴い、再移転を余儀なくされ、現在の地に遷宮された。■創建前の石像遺物があることが理解できる。
近くにある成美学園 高等部に行った際気になったので参拝しました。いつも、国道6号線を車で走る度に気になっていたのですがやっとの参拝です。拝殿の裏に回ると末社もありました。当然、そちらも参拝しています。すると、突然、鳴るはずのないアラームがスマホから鳴り響きました。これは、歓迎なのか、警告なのか。取り急ぎ、歓迎だと受け取りましょう。神社や仏閣など、参拝の際、神事に出くわすなど不思議なことに遭遇した場合、ほとんどそれは参拝への歓迎だと聞きます。この愛宕神社、社殿等はありませんが、多分、昔から河川の氾濫を鎮めるための神社だったのではないでしょうか。元々は都内にある愛宕神社なのかな。お近くの方、是非、一度、参拝なさってください。もしかしたら、不思議な出来事に出くわすかもしれません。
地元の鎮守様でしたので、子供の頃に七五三のお詣りに行きました。それから毎年8月の下旬に祭礼があって御神輿も出るのですが、道路が歩行者天国になったり露店が出たりしないのでそれがちょっと寂しかったです。
名前 |
愛宕神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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Very nice medium size shinto shrine. Near Toride station and easy to find. Smaller shrines here too. Well kept shrine.