津波を想う石碑、森の中で。
大津浪記念碑
ほぼ海抜50mです。
ここより下に家を建てるな。
スポンサードリンク
昭和62年からの石の魅力。
源六郎石
昭和62年に近所から移転してきたようですが古い云われのある石のようです。
祖父杉の小鳥隠れ家。
祖父杉・祖母杉
空洞になっている祖父杉は小鳥の隠れ家になっていました。
スポンサードリンク
文化三年の西国順礼塔、歴史を感じる。
西國順禮塔
文化三年(1806年)銘の西国順礼塔。
入口の看板がなくなっていたので分かりにくいかも。
籠石
入口の看板がなくなっていたので分かりにくいかも。
人ん家前でも行きたくなる!
カッパ渕
人ん家の前なんで行きにくいし。
震災遺構で学ぶ、津波の恐ろしさ。
津波遺構 たろう観光ホテル
2024.11.19 15時半頃訪問津波の恐ろしさを風化させないようにと残されたもののひとつ。
映像等で見るより、ここで実際に見て感じたくて訪れました。
宮古市のシンボル、ラサの煙突!
ラサの大煙突
宮古市のシンボルと言えるでしょう✨ (写真は宮古市マリンコープドラ屋上駐車場より撮影)
スカイツリーの高さほどあるそうです。
津波到達点プレートで震撼!
津波到達点プレート
自分の予想をはるかに超えていました。
明治29年の津波の高さを示す津波到達点プレートが貼り付けられている。
戊辰戦争の遺跡、宮古の歴史に触れる。
宮古湾海戦解説碑
1869年に行われたバトル・オブ・ミヤコ・ベイについての解説碑。
黒御影石の鏡面仕上げ、石碑には不向き。
登録有形文化財の邸宅、見学しよう!
盛合家住宅
玄関にいた婦人に中を見せてくれと言ったら困惑されました。
南部の豪族らしいですね✨
本州最東端で心に響く覚悟。
大津浪記念碑
ほぼ海抜50mです。
本州最東端の魹ヶ崎に近い大津波記念碑。
狭い道を進む、その先に歴史がある。
津波到達地点碑 (2011年3月11日 津波到達地)
ほぼ1車線と狭いので通行には注意が必要です!
明治三陸津波で生存者2名。
東日本大震災の記憶、熊野神社の階段脇で。
津波到達地碑
宮古市鍬ヶ崎地区熊野神社への階段脇にある東日本大震災津波の津波到達地点を示す石碑。
立派な大木に魅了される。
こぶしの木
立派な大木。
下閉伊地方の鞭牛和尚の石碑群。
鞭牛碑群 No.7, 8
鞭牛和尚の建てた石碑群が長沢川付近にあるらしい。
鞭牛和尚の建てた石碑群が長沢川付近にあるらしい。
震災の記憶を刻む立派なモニュメント。
東日本大震災津波メモリアルモニュメント
東日本大震災をうけて整備されたモニュメントです。
微妙に影が薄いですが、立派なのが建ってます。
空堀の歴史残る特別な場所。
根城館跡
空堀や切り通しの後が残っています。
駐車可能。
震災時の命の水、安心の湧き水。
命の水
震災時水道が断水したさなか管理者の御好意で井戸の湧き水が開放されて多くの方々が利用できた事から「命の水」と呼ばれていたそうです。
宮古市観音堂で見つける明治の記憶。
「三陸大海嘯横死精霊」明治三陸地震津波犠牲者慰霊碑
宮古市藤原地内の観音堂地内にある明治三陸津波の記念碑。
宮古市の文化遺産、鞭牛碑群へ!
道供養碑(鞭牛碑群)
宮古市指定有形文化財 鞭牛碑群 No.9
R106号開通間近の鞭牛和尚。
牧庵鞭牛道供養碑(熊の穴)
鞭牛和尚は開通間近のR106号高規格道路を作っているエンジニアの大先輩。
明治三陸地震とともに。
三陸海嘯横死者精霊
宮古市金浜の江山寺の入り口にある明治三陸地震津波の慰霊碑。
宮古市白浜で歴史を感じる。
「海嘯横死者精霊塔」明治三陸地震津波被害伝承碑
宮古市白浜にある明治三陸地震津波の石碑。
津波の犠牲を供養する石碑。
海嘯横死牛馬観世音
重茂の石浜漁港にある海嘯横死牛馬観世音の石碑(脇に頭部の石碑があるのでそれと組なのかもしれない)津波の犠牲になった牛馬を供養する石碑は大変珍...
歴史を感じる新里鞭牛会。
腹帯大淵 鞭牛道供養碑
村中下部に横書きで平成6年復刻・新里鞭牛会とあるそうだが、気が付きませんでした。
川井村十エ門の歴史を感じる道供養橋。
老木の道供養碑
宝暦八(1758)寅年 施主川井村十エ門 道供養橋野林宗六世 四月八日 人足惣村。
龍神様の側面を感じて。
津波到達地碑
側面に「龍神様」とあります。
震災の記憶を受け継ぐ場所。
津波到達地碑
震災を忘れないために投稿しておきます。
海抜23mからの絶景体験!
津波到達地点碑
ここは海抜23m。
全 30 件
スポンサードリンク
