藤堂高虎が築いた美しい石垣。
赤木城跡
赤木城は藤堂高虎が豊臣秀次が伊勢を通る際にに築いた山城です。
石垣、折れ折れの動線、美しい曲輪、そして大変綺麗に保存されています。
スポンサードリンク
日本書紀に語られる熊野三山の神秘。
口有馬道標
古くは日本書紀に記されているそうです。
蟾島岩(ビキ島岩) ...
蟾島岩(ビキ島岩)
蟾島岩(ビキ島岩) 標高 644m地点にある大岩 大人平山668m〜玉置山777m〜白倉山736m〜...
スポンサードリンク
大きな川のそばで自然を感じる。
上川小学校跡
養蜂箱がありミツバチがいますので通る際は注意して下さい。
'23.05訪問。
樹齢千年の楠と石灯籠。
黄泉平坂日初様
地元では日初講があり毎年お祭りをしていたが、明治40年頃クスノキは伐られ、祠も取り払われ、現存するのは日初地名と石灯籠だけです。
竹に巻いてある赤いテープを目印に進みます。
スポンサードリンク
大丹倉山頂で橿原神宮を発見!
橿原神宮遙拝所
場所は大丹倉の山頂にあります。
まさか、ここで橿原神宮の名を見るとは思わなかった!
苔が生え凄く歴史を感じました。
通り峠・子安地蔵
苔が生え凄く歴史を感じました。
スポンサードリンク
苔むした石段の奥に神社。
高尾谷のトガサワラ林
サイトによっては太郎坊権現の社の画像が出てきますがトガサワラ林は原生林を指すので厳密にはトガサワラ林の中に社があることになる携帯は基本的に圏...
女人禁制の神社があり、苔むした石段の奥にある神社です。
小さくてわかりにくいばしあにある。
志原尻龍神燈
小さくてわかりにくいばしあにある。
明治13年(1880年)の碑銘。
鯨魚供養塔
明治13年(1880年)の碑銘。
海沿いの静かな木陰道です。
有馬一里塚
海沿いの静かな木陰道です。
西丹後守が関ヶ原敗戦の後この地に隠棲。
文字岩
西丹後守が関ヶ原敗戦の後この地に隠棲。
2024年4月時点で熊野古道入口にはフェンスで囲わ...
本宮道② 登り口(西側)
2024年4月時点で熊野古道入口にはフェンスで囲われていて通れません。
海を眺めて楽しむ、至福のひととき。
楯ヶ崎遠見番所跡
ずっと海を眺めるのも結構しんどいと思われます。
過去の地震の記録。
「宝永地震津浪の記」石板
過去の地震の記録。
丸山千枚田から北進するとある石碑。
開道碑
丸山千枚田から北進するとある石碑。
文政三年(1820)建立の道標「右ほんくう近道/左...
立石の道標
文政三年(1820)建立の道標「右ほんくう近道/左志ゆん礼」と刻まれています。
廃墟フェチ必見!
紀州鉱山選鉱場跡
鉱山だけではなく、地域の歴史も展示しています。
翌朝近くに廃墟っぽい施設があるのを見つけて尋ねてみました。
紀和鉱山資料館からの感謝の旅。
英国兵士墓地
感謝と哀悼の誠を捧げ、恒久平和を祈りました。
まずは紀和鉱山資料館を訪れてから来るのをおすすめします。
板屋九郎兵衛の墓、心が和む参拝。
板屋九郎兵衛の墓
近くに道の駅が有りせっかくなので手を合わせて来ました。
そこに駐車してお参りしてきました。
桜に囲まれた校舎で楽しむ。
🌸旧:神上中学校
桜まつりで訪問しました。
桜に囲まれた校舎地元のご尽力で維持管理されています。
波田須の道 登り口からの熊野古道散策。
熊野古道 波田須の道 登り口(北側)
「波田須の道 登り口(南側)」に駐車場があるのでそちらに車を停めて熊野古道を歩いて来た方が良いです。
大沼の小女郎、美しき一筋。
小女郎の石碑・蛇地蔵
久保の小女郎という大そう美しい娘があり、髪が長いので、櫛で琉くときはその一筋一筋が蛇のようにうごめいたという。
海の神様に感謝!
口有馬竜宮塔
竜宮神の怒りを鎮め災難の再発する事のない様に建立されたとされる。
有り難うございます。
古街道で味わう、歴史のおもてなし。
明治の石畳
古街道です。
鍛治屋敷跡で歴史を感じる。
赤木城 鍛治屋敷跡
鍛治屋敷跡は芝生で覆われています。
何もありません、立て看板だけです。
熊野古道伊勢路の歴史、石畳を踏もう!
鎌倉期の石畳
良かったです。
熊野古道伊勢路の中で最も古い鎌倉期の石畳が残存している貴重な古道。
懐かしの廃校で過ごす特別な時間。
旧紀和町立西山小学校小森分校
旧紀和町立西山小学校小森分校昭和56年 廃校。
写真の入口を楽しむ冒険へ。
延元文字岩
写真の入口からはいるとまずたどり着けない。
津ノ森遺跡
看板一枚あるだけで、ただの空き地にしか見えない状態で、地元の人にすら重要性は感じられないように思えます。
全 30 件
スポンサードリンク
スポンサードリンク
