歴史深い法螺貝城で初日の出。
皆川城跡の特徴
皆川城は法螺貝城として知られ、螺旋状の構造が特徴です。
標高147mからの眺めは絶景で、初日の出も楽しめます。
車でのアクセスも良好で、公民館駐車場が利用可能です。
以前から皆川城を東北自動車道から眺め、「いつか登ってみたい」と思っていましたが、夏の暑さを理由に避けていたものの、ついに登ることができました。この城は、皆川氏の居城であり、1450年頃に会津田島から移住して築かれたものです。通常の居住スペースである居館部が平地にあり、緊急時に避難するための本丸が山頂部にあります。山頂には一の曲輪、中央には二の曲輪が設置されており、曲輪を縦に分断するように竪堀が作られています。その螺旋状の構造から、「法螺貝城」とも呼ばれることがあります。戦国時代になると、皆川氏は宇都宮氏の圧力を受け、従属と離反を繰り返しました。小田原征伐の際には北条氏側について籠城しましたが、北条氏の降伏直前に徳川家康の仲介で豊臣秀吉に降伏することが許され、皆川広照は栃木城に拠点を移しました。その後、皆川城は廃城となりました。現在では、標高147メートルの城山に皆川城址公園が整備されており、山頂までコンクリートの道が続いているため、比較的歩きやすいです。展望台からは、筑波山、大平山、そして錦着山といった美しい景色が広がり、晴れていればすばらしい景観です。
とても歴史がある砦城跡は眺めも良く、初日の出を観に毎年地元の方々で賑わいます。麓には広い駐車スペースもあり気軽に出かける事も出来ます。
皆川城は標高147m(比高約80m)の小山全体を城塞化した城で別名法螺貝城とも言われる。その名のとおり法螺貝のように螺旋状に腰曲輪や帯曲輪を配した特異な縄張りが特徴である。1429年に地元豪族皆川氏によって築かれ、1590年の秀吉の小田原攻めの時に降伏した。皆川氏は翌年栃木城に居城を移し、皆川城は廃城となった。皆川城はたいへん綺麗に整備されており、木々も伐採されているため離れた場所からも視認しやすい上、本丸からの眺望も360度見渡せる見事なものである。遺構としては竪堀や井戸、池、各曲輪が確認できる。城主もマイナーなため全国的な知名度のない城であるが、特異な縄張りと眺望の良さ行き届いた整備を含めて訪問する価値のある良い城でした。
皆川城は1429年に鎌倉初期に活躍した長沼宗政を祖とする長沼秀宗が城を築いたのが始まりとされています。皆川氏は宇都宮氏、佐野氏などと攻防を繰り返しながら、下都賀を勢力下におきました。戦国末期には当主の皆川広照は徳川家康の仲介で後北条氏と和睦し、小田原征伐の際は北条氏に味方し籠城しましたが、北条氏の降伏直前に家康の仲介で秀吉に降り本領を安堵され、翌年本拠を栃木城に移したため廃城となったとされています。皆川城へは8月終わりに車で訪問、皆川公民館に無料で駐車できます。主郭のあったとされる場所は展望台が整備されており、途中の歩道はコンクリートで整備されているため、山城好きとしてはやや物足りなさはあるものの、歩きやすいです。法螺貝城の別名のとおり渦巻状に幾重にも廓が配置されており、切岸はかなりの角度で、草に囲われて見えにくくなっているものの竪堀なども確認でき、当時かなりの防御力があったと感じることができます。展望台からは皆川周辺が一望できとても眺望がいいです。
公民館駐車場を利用できます。トイレあります。地図ももらえます。公園として整備されてます。法螺貝城と言われるように本丸をぐるっと取り巻くように曲輪が配置されてます。駐車場から本丸跡を見上げると独特の縄張りがよくわかります。神社の横に復元された竪堀があります。井戸と池跡を見て西の丸にまわりました。西の丸から本丸に向かい北側を見ると切岸の下に横堀が見えます。下に降りると土塁、横堀が巡らされてました。個人的には北側が好きです!このお城は高速道路からよく見えます!
車なら公民館駐車場に余裕で停められる。バスは栃木駅から皆川方面のコミュニティバス(200円)で郵便局前か中学校前で下車。ただし、便数が少ないので事前によく確かめて。公民館の駐車場は屋敷跡であり、よく見ると芝生広場の奥に土塁が巡っている。公民館脇から登り始めると直ぐに竪堀があり、神社脇を抜けて『西桜平』方面に行けば、大規模な竪堀と横堀を同時に眺められ必見。ただし、登りがきついので、楽に回りたい方は、左回りで本丸を目指し、降りながら各曲輪や遺構を巡ることをお勧めする。休憩広場(東屋)の直ぐ上の腰郭に井戸と池がありこらも押さえておきたい。その直ぐ上には西ノ丸(櫓台?)と見はらし平(二の曲輪)があり、見上げた先に展望台のある本丸(一の曲輪)が聳えている。登城路の反対側(北側)にも竪堀や腰郭が見られ、別名(法螺貝城)の由来もよく理解できる。樹木が伐採されているので、造作の状態や眺望も申し分無い。桜や梅なども植栽されており四季を通じて楽しめる山城だ。なお、近くの金剛寺には歴代皆川城主の墓所がある。
| 名前 |
皆川城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0282-22-3535 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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皆川氏の居城で、螺旋状にできていることから「法螺貝城」(ほらがいじょう)とも呼ばれています。城は皆川氏により応永元年(1394年)に築城されたと考えられます。その後、1591年、皆川広照は本拠を栃木城に遷し、皆川城は廃城となりました。標高147mの山頂には展望台があり栃木市街地が一望できます。