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| 名前 |
高塚不動尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
大聖院は、真言宗のお寺で、高塚不動尊と呼ばれています。不動尊の開基は奈良時代に東大寺の創建などに尽した華厳宗(けごんしゅう)の良弁僧正(ろうべんそうじょう)と伝えられています。良弁僧正は不動明王の尊像を彫刻し堂内に祀りました。この像が本尊の「大聖不動明王」です。その後この像は一時行方不明になりましたが、嘉応元年(1169)、近くの浜で発見され地元民の協力で高塚山山頂にお堂を建立し安置することができました。石造鳥居奥の院への参道を示す高さ4.7m程の石造鳥居。宇山徳左衛門・宇山兵吾と13世住職日欽(にっきん)が願主として海の安全を祈願し、地元の若者たちが寛政11年(1799)に寄進したものです。風神雷神門文政13年(1830)3月、長狭郡平塚村(鴨川市)の三木甚右衛門、古谷伊兵衛ほか3人の石工がノミを振ってこの石像を刻み、若者中が高塚不動尊に奉納したものです。台座には世話人として地元の植木忠右衛門のほか、14世住職盛侃(せいかん)・村役人・地元35名の人々の名と、近隣の村々の名が刻まれています。石灯籠風雷門の先にあり、施主は江戸の日本橋本船(ほんふね9町と記されています。本船町は日本橋川北岸の日本橋魚河岸発祥の地で、多数の魚類関連問屋が集結し繁栄した中心地です。獲れた魚を送っていた縁で海陸交通の守り本尊である当不動尊に宝暦5年(1755)奉納したと考えられています。手水石奥の院風神雷神門の左手前にあります。文化10年(1813)に6名の世話人をはじめ、23名の村人により奉納されたものです。