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名前 |
ガラガラ城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
ガラガラ城址とあるが、賀羅嶽城址(きゃらだけ城址)であるようだ。地名が城名となっている。江戸の初期にかかれている大日本史の若狭郡誌には、この場所には賀羅嶽城址しか載っていないので、ガラガラ城址と賀羅嶽城址は同じ城であろうと思われる。そんなに古いお城ではなく1563年に攻め落とされたと伝承に残っている。誰に攻められたのかも定かではないとあるが、それにも又伝承がある。中々に実態のつかめない話といえる。ガラガラ城跡という、ユニークな名前にひかれて調べてみたのがはじまりである。❶【参考 大日本地誌大系 若狭郡県誌 1673年~1681年】賀羅嶽城址(からだけ城址) 江戸の頃のこの城址の紹介文山縣政秀(まさひで)の居城の旧跡である。政秀の母は内藤筑前守の娘で未詳である。父は山縣武田の族姓である。里民の言い伝えによると、「永禄6年(1563年) 鹿介、狼介という者らが、これを攻めたという。そして城を潰してしまったのだろう。鹿介、狼介が何者であるかは未詳である。一説には “上中郡本保村の城主 山本鹿介によって滅せられたのではないかと言われている。”」[所在地] 下中郡_多良庄村_賀羅嶽_______________❷【参考 日本城郭全集 1968年】賀羅嶽城址(からだけ城址)山県_民部丞_政秀が城主であったと伝わるが、詳細はいっさい不明である。[所在地] 小浜市太良庄。