銀杏が美しい津田八幡神社。
八幡神社(津田)の特徴
津田八幡神社は誉田別命を御祭神として祀る神社です。
銀杏の木がとても美しく、訪れる人を魅了します。
位置は大字津田のほぼ中央で、村の鎮守として親しまれています。
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銀杏が凄かった。
鳥居が危ない壊れるよ。
名前 |
八幡神社(津田) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0493-39-0162 |
住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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HP | |
評価 |
3.8 |
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津田八幡神社(つだはちまんじんじゃ)御祭神 誉田別命相殿神 建御名方命 伊弉諾命 素戔嗚尊 菅原道真公由緒津田村 諏訪社 福王寺持八幡社 村の鎮守なり 同寺(福王寺)持(「新編武蔵風土記稿」参照)当神社は、大里村の東部に位置する大字津田のほぼ中央に鎮座しています。神社の北方は集落となっていて、ほかの三方には水田が広がっています。津田の地名は、既に南北朝時代に「津田郷」として見え、その開発の古さを物語っています。津田郷には、応永二十一年(1414)八月二十日の足利持氏寄進状により、鶴岡八幡宮の放生会料所があったことが知られ、そこに祀られたのが当神社ではないかと想像されます。「風土記稿」津田村の項には「諏訪社 福王院持 八幡社村の鎮守なり 同寺持」とあり、当神社が村の鎮守とされています。また、二社の別当であった福王院は、同地内の西明寺の門徒でした。明治初年に福王院の管理下を離れた当神社は村社となり、更に明治四十五年(1912)字前町の無格社諏訪神社に遷座の上、同社と字西町にあった無格社八坂神社を合祀しました。遷座前の社地は、字八幡町の水田の中にあった金塚と呼ばれる盛り土で、今は跡形もありません。合祀に際し、無格社であった諏訪神社の社地に移された理由は、八幡神社の社地が集落から離れ、参詣などに不便を来していたことが挙げられます。造営は、本殿が諏訪神社本殿として明治三十三年(1900)に行われ、明治四十二年(1909)に、来る合祀に備えて「諏訪八幡神社社殿新設」の名目で覆屋が建立されました。社殿下の盛り土はこの時に行われたものです。(埼玉県神社庁発行「埼玉の神社」参照)大里村指定有形民俗文化財「根精様」本殿は盛り土の上に鎮座し、本社の後方には「根精様」と呼ばれる石祠があります。この石祠には男根をかたどった石造物が納められていて、子授けの信仰を集めています。当地に嫁に来た時は、必ずお参りして、おさご(御餞米)・お賽銭を上げるほか、子供に恵まれない婦人は、人に見られぬようにこっそり参拝に来てこの男根を取り外し、抱きしめて先端部をなでるとよいと語られています。