中江藤樹記念館横で楽しむ中国式庭園。
陽明園の特徴
中国の儒学者・王陽明の生誕地との友好交流の印として造営された庭園です。
鯉が泳ぐ池と本格的な中国式庭園が美しい調和を見せています。
まるでタイムスリップしたかのような風情ある景観を楽しむことができます。
なるほどねーって感じでした。王さんの説明読んでもなんかよく分からず(笑)2024年現在、赤い建物は無くなっています。
陽明学を信奉した近江聖人中江藤樹(1608年-1648年)を生んだ高島市が陽明学の祖、王陽明の出身地、浙江省餘姚市と姉妹関係になったことを契機に、餘姚市から太湖石など資材を提供されては蘇州の拙政園、上海の豫園を参考にして平成4年に造営された中国庭園。造営当時はあった黄色の瑠璃瓦の亭も老朽化で撤去されては、その訪れる人も少ない夕暮れとともに「廃園」という感を一層強めるが、実のところその多孔質な太湖石が「掃除が面倒」という斬新な発見を導くほどにきちんと手入れはされており、巡る池の透明な清水という、中国江南のどうしたって澱流な池庭を実際に見た身にはあり得ない設定にびっくりである。しかし、何よりその畳石、配石の妙が素晴らしい。要するに日本人でも中国庭園は造営できるのであり、それはなぜもっと早くから太湖石を使って日本庭園を造営しなかったのかとも思ったりする。日本の庭園造営理論書が、やたらと道教的な迷信で彩られながら太湖石や畳山といった中国庭園の手法を拒否したのは不思議であり、そこには日本人の「あるべき」石への思いというものを却って感得するに充分であろう。とはいえ、この庭園を貶しているわけでは決してない。そうした連想を可能にするほど完成した庭園であることを言いたいのであり、そしてそこから尚洩れる「中華」と現れる「日本」というものは「石」だけにせよ、まだまだ考究する余地があるはずである。
子どもが鬼ごっこしていた。
安曇川は江戸時代から中江藤樹先生の教えを伝え、中江藤樹の町として有名です。それゆえ、安曇川駅前に中江藤樹先生の像があります。この前の道もとうじゅのみちです。この中国庭園は、陽明学の祖と言われる、中江藤樹先生の教えに共感し敬意をもって中国から素材や専門家の方が来られて作られました。それゆえ●王陽明の像(ここがポイント)が立っています。王陽明の考え方は明治維新に影響をあたえましたので、中江藤樹神社が作られました。神社ー記念館ー庭園ー道の駅の順番で作られていきました。詳細は、記念館の学芸員の方にお聞きください。
面白そうな庭なのでちょい寄りです。車で外を周り塀を見た時、細部まで細かく造り上げられた塀が目を引きました。中には「こんな石どこにあんねん」的な石が数多く置かれていました。この石をうまく配置して中国風の庭をまとめあげています。池には凄く太った鯉が泳いでおり手を叩くと寄ってきます。中江藤樹記念館は予想通り月曜休館でした。
むかしの中国、そのもの、タイムスリップ、したよう、で素晴らしい、塀、門はまるで、重要文化財の様相でステキ🙃
2017.09.19. (火) 12:00 初来訪 (奈良斑鳩人)ココを訪れるまで 藤樹書院跡→良知館→中江藤樹記念館と行き 次の目的地に向かうハズが 記念館を出たトタンに 変わった擁壁が目に付き 自由に入れそうな公園にも見えたので 再度駐車場に戻り コチラに向かいました公園の説明パネルが ヨク解らず ネットで調べると陽明園は 1986年(S.61)に 中国の儒学者で陽明学を築いた王陽明サンの生誕地である浙江省余姚市と 日本陽明学の祖である 中江藤樹サンの生誕地である ココ安曇川町との間で 友好交流の記念として 中国式の庭園を建設したモノ との事でした更に ココで使用された 建築材料の殆どが中国から輸入された資材で造られ 建物のみ ならず日本に居ながら 中国の雰囲気を 味わうことが出来ましたまた 公園の池の水が 伏流水なのかトテモ美しく透き通り 泳ぐ鯉の姿や色が鮮明に見え コイも気持ち良さそうに 優雅に泳いでいました!
日本では、あんまりない中国式の庭園です。安曇川にこういう庭園があるのに違和感があって、おもしろいです。
記念館の敷地内にある本格的な中国庭園です。中江藤樹が信奉していた陽明学から名をとって名付けられました。外周を歩かずともそのまま記念館と神社の敷地まで繋がっています。入り口の龍のひげが印象的です。
| 名前 |
陽明園 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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藤樹神社の隣にある中国式庭園。