広島県農業会の慰霊碑へ。
廣島縣農業會原爆物故者慰靈碑の特徴
原爆投下で犠牲となった方々を祈る場所です。
広島県農業会の犠牲者を慰霊する貴重な碑です。
83人の名前が刻まれた意味深い慰霊碑が存在します。
2018/09/16来訪。1945年8月6日午前8時15分、広島市上空に炸裂した1発の原子爆弾により、全市は一瞬にして阿鼻叫喚の巷と化す。猛火 市井を襲って廃墟となり、広島県農業会役職員80余名、尊き犠牲となる。 ここに広島支所の在りし、ゆかりの地に近く、碑を建立して犠牲者の霊を祀る。昭和46年8月6日と刻まれています。
広島県農業会原爆犠牲者83人の慰霊のため。(原爆症による死亡者を含む)建立された。この慰霊碑の建っている場所に広島県農業会広島支所がありました。 元広島県農工銀行から譲り受けた建物で、国泰寺町に新事務所ができて本所事務所が移動したのち、広島支所として使用されました。6本の円柱が特徴的な4階建てのレンガ建築でしたが、原爆によって完全に破壊され、外壁の一部が廃墟として残るのみでした。厚いレンガ造だったため、しばらくは熱気で手がつけられず、1週間ぐらいたってからレンガを割り、その下にある遺骨を収容しました。 当日出勤していた支所長をはじめ、職員は全員犠牲となりました。
名前 |
廣島縣農業會原爆物故者慰靈碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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原爆投下で犠牲になった廣島県農業會の方々の慰霊碑です。