鹿児島市の総禅寺跡で歴史を探る。
豊州島津家の墓(龍護山総禅寺跡)の特徴
鹿児島市の史跡、豊州島津家の墓は総禅寺跡に位置しています。
墓地内には島津歳久の埋葬場所があり、歴史を感じられます。
安心して探索できる、隠れた史跡の魅力があります。
総禅寺跡の墓地の左手奥が豊州島津家の墓となっています到達するための案内はありませんが、まあそちらにあると認識して進めばたどりつけると思います豊州島津家の墓以外に、一番奥に僧侶の墓、手前の方に島津歳久の胴体が埋葬されていた場所があります。
【島津歳久と島津義弘の娘と娘婿に関連あり】・元々歳久の胴があった。
豊州家島津氏の菩提寺であった総禅寺墓地に、島津季久(すえひさ)・朝久(ともひさ)・10代久兵以降・御屋地(おやぢ)様の墓〔市指定史跡〕があります。島津季久は豊州家島津氏初代で室町時代に国人領主として活躍し、瓜生野(うりうの)城(建昌城)を居城としました。文明9年(1477)に城中で死去しました。島津朝久は豊州家6代であり、義弘の娘婿に当たります。義弘とともに活躍しましたが、文禄2年(1593)、文禄の役の陣中で病死しました。御屋地様とは義弘の長女千鶴のことです。島津朝久に嫁ぎましたが、朝久の病没後は義弘とともに帖佐の居館に住み、領民に慕われ、「御屋地様」と呼ばれました。寛永13年(1636)に平松城で死去し、総禅寺に葬られています。駐車場は帖佐招魂塔の横から後方へ行くと停めるスペースがあります。
| 名前 |
豊州島津家の墓(龍護山総禅寺跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.city.aira.lg.jp/bunkazai/kanko/bunka/bunkazai/shisiteisiseki.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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鹿児島市史跡で総禅寺跡と記載がありました。