寛文十一年再建の美しい社殿。
五部権現社の特徴
高幡不動の境内に位置する、歴史ある神社です。
源頼義の八幡社勧請が起源となっています。
大日堂内に御本尊が安置されています。
2024.7.191671年(寛文十一年)再建。1996年に現在地へ移築。「金剛寺旧五部権現社殿」として都指定有形文化財。覆い殿の内に社殿が収められています。祭神は八幡社、稲荷、丹生、高野、清滝権現の5社。
美しい建物です東京都指定有形文化財( 建物)金剛寺の境内鎮守として創立されたもの源頼義が奥州鎮圧の際こちらに八幡社を勧請し後に稲荷 丹生 高野 清瀧権現を合祀し五部権現と 称するようになった一間社流造 向拝付き 銅板葺き社殿に安置されていた五基の神牌は国の重要美術品に指定されています以上 由緒書き。
高幡不動の境内社。源頼義が八幡社を勧請した事に由来する古社です。また境内では貴重な江戸時代初期の様式を残している堂宇で東京都の有形文化財に指定されています。
金剛寺の境内鎮守として創立されたもので、寺伝によると源頼義が奥州反乱鎮圧に際しここに八幡社を勧請し、のちに稲荷、丹生、高野、青瀧権現を合祀して五部権現と称するようになったと伝えられます。この五部権現社は、現存する棟札により暦応3年1340年に創建され、寛文11年1671年に再建された江戸時代前期の社殿として類例の少ない貴重な文化財です。以上説明板より抜粋しました。高幡不動は安永8年1779年の大火で多くの寺宝を焼失しましたが、五部権現社殿は焼失を免れ、東京都有形文化財になっています。源頼義の奥州征伐は前9年の役(1051〜1062)の事で、彼は八幡太郎義家の父親です。前9年の役と続く後3年の役はセットで暗記させられたのを思い出しました。
門前に庚申塔もあります。
高幡不動こと金剛寺の中の神社。寺伝によると八幡社を勧請し、その後「稲荷、丹生、高野、清瀧権現」を合祀して「五部権現」と呼ばれるようになったと書いてあった。
大日堂に御本尊が見られます権現は、天ノ部なので外側写真あれば投稿お願いします。
大日堂に御本尊が見られます権現は、天ノ部なので外側写真あれば投稿お願いします。
名前 |
五部権現社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
042-591-0032 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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いかにも真言寺院らしい丹生と高野は高野山から勧請清瀧権現は醍醐から勧請でしょ惜しむらくはもう少し社殿を綺麗にして欲しい勧請諸神は大切に。