薩摩義士碑で先人に合掌。
薩摩義士碑の特徴
薩摩藩の先人たちの苦労を深く理解できる場所です。
歴史的な木曽三川治水工事の重要性が感じられます。
視界に桜島を望む景観は心を癒してくれます。
遥か遠く岐阜、愛知、三重を舞台にした木曽三川治水工事のことを知るにつけ、こういった先人達の犠牲の上に、今の豊かな生活があるのだと感謝の気持ちを抱くと、共にさぞや悔しい思いの中、亡くなられたのだろうなと思いただただ合掌いたしました。
幕末の薩摩藩の活躍の背景には、関ヶ原の戦いでの敵中突破と、この宝暦の大治水による、徳川幕府への強い思いがあると思っています。財政難に喘ぐ薩摩藩に突如濃尾三川治水の幕命が下る。露骨な外様潰しの策謀と知りつつ、平田靭負ら薩摩藩士は遥か濃尾の地に赴いた。利に走る商人、自村のエゴに狂奔する百姓、腐敗しきった公儀役人らを相手に、お手伝い方の勝算なき戦いが始まった……。史上名高い宝暦大治水をグローバルに描く傑作長編。(杉本苑子著 孤愁の岸 解説より)今に至る、鹿児島と岐阜の交流の歴史は、ここから始まりました。
そんなに有名どころですか?安らかにご永眠下さいませ。
薩摩の先人たちの苦労を理解することを理解できる薩摩義士碑です。
分かりやすい場所にあり、桜島も望めます。
木曽川、長良川、揖斐川、三つの治水工事を成し遂げた薩摩義士の方々。将棋の駒を並べたような形をしています。
2018年12月訪問。岐阜県の子供は、薩摩藩が莫大な人的財的犠牲を払って難工事を成し遂げてくれた木曽三川の治水事業について学校で習い、鹿児島の人に対して感謝の念を抱きます。でもこの場所にこういう記念碑があるのを知らず、西郷洞窟に向かう道でたまたま遭遇して驚きました。改めてお礼の祈りを捧げてきました。木曽三川それぞれの河原の石が供えてありました。
江戸時代、幕府に木曽川の治水工事を命ぜられた薩摩藩は、莫大な費用と人材を投じてこれに対応。多くの藩士が犠牲になったのだとか。ここにその供養塔があります。外様の雄藩である薩摩藩に対して、幕府はその力を削ごうとさまざまな苦役を押し付けていました。
名前 |
薩摩義士碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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④隆盛終焉の地から歩いてここ⑤薩摩義士碑へ来ました。来るまで何の義士なのか分からなかったのですが・・・西南戦争とは関係ないようですね。それにしても、日本の南の端っこの薩摩藩に日本のど真ん中の木曽川流域の治水工事をやらせるとは・・・。幕府も権力があったというか、利己的・横暴だったのでね。鹿児島県が愛知県の治水工事なんて、今では考えられません。80余名の薩摩義士に手を合わせます。尚、この場所は、鶴丸城の北御門の近くにあり、城址碑がひっそりと建っていました。