宇都宮の歴史を感じる、光明山宝蔵寺。
光明山 摂取院 寳蔵寺の特徴
JR宇都宮駅から徒歩約5分、アクセス良好な立地です。
850年の歴史を誇る、由緒深い古刹です。
北関東三十六不動尊霊場の一つとして知られています。
御朱印は当面の間書置きで、玄関入り口に種類毎に分かれて置かれています。参拝される方で御朱印を求める方は小銭のご用意をオススメします。
【木造阿弥陀如来坐像】【宇都宮市指定文化財】(昭和52年3月8日指定)阿弥陀仏は、万人を極楽浄土へ導く仏として親しまれている。この仏像の内部に、室町時代中ごろの「明応三年(1494)」という銘が見られる、定朝様の定印阿弥陀仏である。定朝様とは、胸が平らで膝が広く低く、円満な顔だちをした優雅な尊像でわ あり、和様彫刻の理想の一つとして尊ばれ、その様式は後世にまで伝えられた。【木造普賢菩薩坐像】【宇都宮市指定文化財】(昭和50年3月25日指定)像高/58.5cmこの仏像は、白い象に乗った姿をしており、象が横向きであることから、釈迦如来の脇侍として造られたことがわかる。本像は江戸時代半ばの寛政年間(1789~1801)に、宇都宮の仏師によって修復されている。胎内に「文和三年(1354) 甲午法眼院廣」の銘が見られる。また、やや下を向いた切長の眼、軽く結んだ唇、豊満な顔は、いかに温和な表情であり、このようなことからも南北朝時代の作であることがわかる。【およりの鐘】【宇都宮市指定文化財】(昭和59年3月21日指定)(高さ/117cm口径/81cm)この鐘は、宇都宮氏の滅亡(1597年)によって廃寺となった東勝寺(日野町通り北側一帯の地)にあったものである。江戸時代には夕暮れになると、宇都宮城下に鳴らされたので、「およりの鐘」として親しまれていた。「おより(御寝り)」とは、「お休みになる」の意味である。鋳造年代は不明であるが、鐘の中帯に宇都宮氏の家紋「三つ巴」が20個ほどついているので、宇都宮氏の寄進によるものであろう。この鐘は、その後、様々ないきさつをたどって、昭和19年(1944)、宝蔵寺へ移され、今に至っている。【粉河寺出土の石棺】庫裡の前の植え込みの中に置かれている石棺は、明治37年(1904)に県庁前にあった粉寺跡から、出土したものである。石棺の中には、即身成仏(生きたままで仏になること)したミイラが納められていたが、第二次世界大戦の戦火で焼失し、現在は石だけが残っている。大寺であった粉河寺は、戊辰戦争(1868)や明治24年(1891)の火災によって、建物のほとんどを失ったので、同26年(1893)、宝蔵寺に各併され、焼け残った品々はこの寺に移された。【木造普賢菩薩坐像】宇都宮指定文化財 有形文化財木造普賢菩薩坐像昭和五十年三月二十五日指定普賢菩薩像は、文珠菩薩像とともに釈迦如来像の脇侍であり、理知と慈悲の仏像として崇敬されてきた。そして、形像は白象に乗った姿で知られている。この白象の背に安坐した普賢菩薩は、白象が横向きであることから釈迦如来の脇侍としてつくられていることを物語っている。なおこの像は、寛政年間(江戸時代後期)に宇都宮の高田仏師によって修復された。このときの底につけられた木庁に文和三年(一三五四年)法眼院広の銘文がみつかり、南北朝時代の作であることが明らかになった。
北関東三十六不動尊の御朱印を、書置き/差替えで頂きました。
御朱印書置き300円寺務所玄関引戸外側にあります親切丁寧なご説明いただきました。
JR宇都宮駅から徒歩で10分前後で着きます。境内は狭いですがいろいろと石像やらが設置されています。
御朱印もいただけますが、置いてあって300円入れてくれと言うものです。このタイプでしっかり300円とって、ペンも置いてないのは初めてです。
宇都宮駅から徒歩圏内。素敵なお寺。ご縁に感謝!
この寺は、850年に芳賀町で慈覚大師円仁によって開かれました。宇都宮城の鬼門除けの寺として、現在地に移転したいわれがあります。あとは、北関東三十六不動尊霊場にもなっています。駅の近くとは、思えない雰囲気です。
父と甥の墓所なので、評価と言われても…。
| 名前 |
光明山 摂取院 寳蔵寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
028-622-4130 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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駅前?に近いからか、駐車場はないのかな?