足羽山で出会う坪川信三像。
足羽山をランニング中にふと木陰に見つけた坪川信三先生像。1930年代という時代にもう大陸に渡って北京大学に学び、内務大臣秘書官、内閣嘱託になられるなど、政界、官界を通じて豊富な経験をされています。大戦直後の1946年には政界に入り日本の国政の各分野で多大な功績を残された、福井の偉大な先人でした。下記の出典は: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』1909年11月13日、福井県足羽郡社村種池(現福井市種池1丁目)に生誕。1924年3月、社村江守尋常小学校高等科卒業。1929年3月、福井師範学校(現・福井大学教育地域科学部)卒業。1946年4月、福井県全県区から第22回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。当選9回。1959年5月、福井市長に当選、1期を務める。1968年11月、第2次佐藤内閣第2次改造内閣の建設大臣として初入閣。1971年、自民党経理局長に就任。1972年12月、第2次田中角榮内閣の総理府総務長官、沖縄開発庁長官として入閣。1977年11月20日死去。享年68。
名前 |
坪川信三先生像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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坪さん、の愛称で慕われというところがまた愛されていたことが伝わります。歴代首相やら各大臣と親交厚くと、すごい人だと感じました。