木曽義仲と今井兼平の墓。
今井兼平の墓の特徴
ひっそりとした場所にある今井兼平の墓は、静かな歴史の息吹を感じます。
木曽義仲と共に過ごした今井兼平の壮絶な最期の物語が印象的です。
立派なお墓と鎮魂碑があり、多くの碑に歴史の重みが感じられます。
木曽義仲と最後の最後まで一緒だった今井兼平の墓。その最後は壮絶!!能楽でいつか見て見たい。そんな激アツの武将の墓が住宅街にひっそりとあります。素敵だ。しかし、元の墓から移されたとあるが、元の場所が分からない。どこかに資料あるのかな?最後の地の景色をみたいな~。
道が細くて駐車場無し。兼平庵って言う建物の駐車場のスキマに車止める。意外や素晴らしい墓所で驚きました!お供物やお線香のあともありました?
木曾義仲の話は歌舞伎などにもなっていて人気があるから、今井兼平にも関心が高いようで立派なお墓と鎮魂碑があります。兼平庵と書かれた自治会館?の横にあります。近所の人が駐車場に車を停めてて、車に隠れてますが、後ろにあります。
たくさんの碑がありました。兼平の人気の高さを物語っています。
平家物語「木曽最後」で壮絶な最期を遂げる今井兼平の墓。源範頼・源義経軍との戦いで敗走した木曽義仲と、その乳母子・今井兼平は近江で再会し、わずかな軍勢で最後の戦いを挑む。愛妾・巴御前を逃がし、ただ二人残った義仲と兼平。「日頃は音にも聞きつらん、今は目にも見給え。木曽殿の御乳母子、今井四郎兼平、生年三十三にまかりなる。さる者ありとは鎌倉殿まで知ろし召されたるらんぞ。兼平討って見参に入れよ」義仲に自害を勧め、敵を防ぐ兼平だが、義仲は深田に馬の脚をとられ、やがて敵軍の郎党に討たれてしまう。「この日頃、日本国に聞こえさせ給つる木曽殿を、三浦の石田次郎為久が討ち奉りたるぞや」その声を聴き兼平は応戦を止める。「今は誰を庇はんとてか軍をもすべき。これを見給え東国の殿原。日本一の剛の者の自害する手本」とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せにける。さてこそ粟津の軍はなかりけれ。と、ぶつっと途切れるように物語が終わるのも悲しい。墓前にはろうそくや線香、カップ酒も供えられ、今もお参りに訪れる人が絶えないようにも見える。自分はこの投稿で供養としたい。最近の高校生は古典の時間、平家物語ではこの木曽最後をテキストにするよう。自分の頃は俊寛だった。ある高校では授業中、兼平の最後のシーンで哀悼の声が満ちたという。いい先生なんだろう。
名前 |
今井兼平の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.5 |
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ひっそりとしたところにあります。義仲寺にも行かれると良いかと思います。1台分車を置く場所はありますが、集会所のものなので別の場所に置くべきかと思います。巴御前は架空の人物ですのでお墓に価値はありません。