神流川合戦場で歴史を体感!
神流川合戦場跡石碑の特徴
駐車場に仮設設備があり、駐車の便が良いです。
見学しながら、歴史を感じることができる場所です。
神流川合戦場跡の歴史的価値を体感できます。
天正10年におこった滝川一益と北条氏の関東最大の合戦といわれた合戦場跡です。石碑、灯篭と説明版があり、線路近くの為、電車が間近でみれます。仮設ということですが、いつかは元の場所に戻すのでしょうか。
戦国時代で最大兵力同士の戦いとして有名な神流川合戦場は川を挟んで群馬県側と埼玉県側にまたがっており、両方に合戦跡を伝える石碑があります。
群馬県高崎行政県税事務所が発行した「中山道上州七宿めぐり散策図」という小冊子を見ていたら、神流川古戦場跡碑が見たくなったので、示されていた場所に行ったのですが見当たらず、やむなく帰ろうとしていたら通りすがりの新町の男性が、碑の置き場所が変わったこと教えてくれました。県境付近の橋の付替工事、道路の拡幅工事、その他付帯工事があり、ガトーフェスタハラダの建物の裏側、南奥高崎線線路際にあるから見てご覧と言われたので行ったら見つかりました。感激しました。神流川古戦場跡碑、神田坤六さんの書でした。当時の群馬県知事でしたね。でも私、小学生の時、珠算をしていて、合格証が神田坤六さん名義だったこと思い出しました。新町の男性の話では、一連の工事が終われば、その石碑等一式は、ガトーフェスタハラダの建物の南側、手押し信号のある辺の空き地に置かれる予定とのこと。でも一連の工事は終了するまでまだ十数年はかかるから、まだしばらくはその場所のままだよ、とのことでした。そういえば、八ッ場ダム工事でも、本体工事が終わっても付帯工事はしばらくやっていたこと思い出しました。まだしばらくは落ち着かない日々が続きそうです。
仮設と言う事です。
お店の駐車場に仮設…ですがまあ見れただけよいかなと。
早く元の位置に戻って整備をちゃんとしたものにして欲しい。
| 名前 |
神流川合戦場跡石碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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「神流川合戦」は織田家の滝沢一益と北条氏の間でおこなわれた合戦で、関東地方の中で最大級の野戦と言われています。本能寺の変を知った滝沢一益は仇討ちのために出発しようとしていたのですが、そこへ北条氏が関東の支配を強めるために進軍してきたという流れでこの神流川を境に互いに向かい合ったのでした。すぐ隣に大きなお菓子を製造・販売している会社があるのでその会社の脇を抜けると駐車場があり、石碑があるのはさらに奥の線路沿いになります。