仁科神社で古代の息吹を体感。
阿部神社の特徴
一段低い樹林の中に建つ神社で、静謐な雰囲気を楽しめます。
仁科氏の祖先を祀る歴史ある神社、古代の魅力を感じられます。
扁額がないため神社名が分かりにくいが、看板で情報提供が豊富です。
扁額がないので、何というお名前の社かわからなかったのですが、仁科神社の看板に説明が書いてありました。仁科氏の祖先である阿部氏を祀った社だそうです。阿部氏といっても奥州の安倍氏ではなくて朝廷に使えていた阿部氏が蝦夷追討でこの地方に土着して仁科氏になったようです。森城のあった岬の一番奥まったところあって、本丸跡の仁科神社よりは少し低く木崎湖の水面が近いです。仁科神社の明るい雰囲気に比べて静まった感じを受けますね。
| 名前 |
阿部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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森城本丸の北にある一段低い樹林のなかに「阿部神社」が建てられ、仁科氏の祖先とされた大和時代からの古代氏族である阿倍氏が祀られているそうです。平安時代後期の前九年の役を戦った安倍貞任、宗任親子が祀られているとも伝えられています。承久の乱で仁科氏は敗北し、森城は敵方に奪われました。同じ阿部氏の子孫で仁科氏の家臣だった阿部五郎丸は一時、森城を奪還しますが、まもなく追いつめられ逃亡しました。しかし、五郎丸を慕う鶏や犬が泣きながら追いかけたため、敵に捕らえられ処刑されてしまいました。その後、人びとは家禽や犬を飼わなくなったと伝えられています。そして、五郎丸捕縛の原因となった鶏や鳥を忌避したことから、阿部神社には鳥居(鳥の字がつく)を設けない不文律ができたのだとか。現在では車道となっている谷間から仁科神社の北隣の阿部神社に向かう参道の西には森城二の丸跡があります。この谷間は、城があった時代には普段は空堀で、非常時に木崎湖の水位をあげたときには内堀となったようです。この谷の南側が三の丸で、民宿街や畑になっています。阿部神社の北側の湖畔にはキャンプ場があります。親子連れや小中学校の夏のキャンプ地として人気があります。