細川ガラシャの碑で歴史探訪。
細川越中守忠興屋敷跡の特徴
細川ガラシャの最後の句の石碑が見ることができます。
大坂城との位置関係が楽しめるスポットです。
歴史を感じることができる魅力的な史跡です。
💫豊臣秀吉は亡くなり、徳川家康が諸将を連れて上杉家討伐のために東北地方へ進軍していた頃。石田三成は諸将の妻子を大阪城に人質として捕らえていました。この時、細川忠興の妻・玉子(キリスト教に洗礼してガラシャと名乗る)は、三成たちの人質になると、三成と敵対していた夫に迷惑がかかると思い、屋敷内で自害したそうです。その屋敷の井戸がこの越中井なんですね。今はその井戸が一つ残って居ますが、大阪城から約500mですが、何か不自然ですね、家康が大阪城の堀を埋めさせて居ますが、その時はこの屋敷は?大阪城は途轍もなく大きな城ですね。
偶然発見、石碑のみですが大坂城との位置関係を考えるとなかなか面白い。
細川越中守忠興屋敷跡。
名前 |
細川越中守忠興屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央2丁目12−8 |
評価 |
3.3 |
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細川ガラシャの最後の句の石碑が在ります。散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ。