福井城跡で歴史の名残を感じよう。
福井城跡の特徴
福井城跡は徳川家康の次男、結城秀康が築城した歴史ある場所です。
立派な石垣とお堀が残り、訪れる人々に歴史の移り変わりを感じさせます。
福井駅から徒歩5〜10分の距離で、気軽に訪れることができます。
石垣しか残っておらず、その場所に県庁がそそり立っているという特異な環境ですが、その分歴史の移り変わりの無常さを感じることができます。自分が訪れたときはお城まつりというイベントが開催されていて、はるばる越後から上杉景勝殿が出迎えてくれました。
福井城跡は駅からすぐの距離にあり、立派な石垣と堀が今も残っています。ただし城内には県庁をはじめ県の施設が立ち並んでいて、あまり城の風情を感じることはできません。かろうじて西側の堀に御廊下橋が再現され、城内の北西側には天守跡や復元された井戸(福の井)などが並んでいます(天守自体は江戸初期に焼失後、再建されなかったようです)。駅前だし、ここを金沢城のように整備すれば、たくさんの人をよべる観光の目玉にもなると思うのですが・・県庁の移転先とか、費用とか、いろいろ難しい問題があるのでしょうね。
福井城跡を見学してきました。福井駅からすぐの場所にあり、お堀の周りを1周できる散策コースが魅力です。美しい石垣も見どころの一つでした。
お城自体は残っていませんが、お堀や天守台などその名残を感じる部分は沢山あります。ぐるっと回れるのもいいですね。市庁舎が入っているのでちょっとその分雰囲気が変わりますが。
2023/5/26に訪問。天守閣は現存せず、石垣のみです。周囲には県庁と県警本部がありますが、行った時は私以外には誰もいませんでした。多少高くなっているので、市街地が見渡せます。遺跡に詳しい人であれば石の積み方とかに興味があるかもしれませんが、私のような素人には何も楽しめるものはありません。強いて言えば、西側にある御廊下橋は復元されていて立派でした。せっかく城下町としての歴史があるのだから、それが分かるようにもう少し整備しても良いのではと思いました。
徳川家康の次男、結城秀康が築城した福井城本丸の跡。天守はなく、福井県庁と福井県警があります。建物の形は違っても、行政機能は変わらずにそこにある、と言ったところでしょうか。堀と石垣などはよく整備されていて、気持ち良く散策することができます。隣接の中央公園では、お昼時に景色を眺めながらランチを取る人を多く見かけました。老朽化した県庁と県警を他に移し、天守などを復元する構想があるとか。小耳に挟んだ程度ですが、実現性はどうでしょう。
続100名城No.137の福井城を見学してきました。廃藩置県のあと、県庁として政治の中枢になった場所というのもなかなかおもしろいです。県庁の家屋によって当時の遺構は限られますが、天守台、特に天下普請の時代でつくられた石垣の特徴がよく現れていました。福井地震によって石垣が大幅にずれてしまった状態も見られますので、そちらも見所です。なお、土日に訪問した場合には、100名城スタンプは正面横の通用口で守衛さんに頼んで中に入れてもらう形になります。貼り紙でも案内されているので迷うことはないでしょう。御城印は、少し歩いたところにある郷土歴史博物館で購入可能です。
初めての訪問でしたが、桜🌸満開の中しっかりと見学出来ました。本丸のみですが、素晴らしい石垣に感動しました。車両駐車場は、『福井駅西口 地下駐車場』が良いかと思います。
結城秀康が築城した福井城跡です。現在は城跡の中に県庁があります。石垣は綺麗な布積み、素晴らしい石垣に堀です。福井城の西側に位置する山里口門は新しく復元されていて中に入れて資料が飾ってあります。スタンプも置いてあります。
| 名前 |
福井城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.fukui.lg.jp/photo/meisyo/fukuijyousi/index.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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天正3(1575)年に、織田信長公は重臣の柴田勝家公へ越前8郡を与えました。勝家公は足羽川と北陸道が交わる交通の要所であった北ノ庄(後の福井)に城を築きました。柴田師滅亡の後、領主は入れ替わりましたが、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦で東軍(徳川方)が勝利すると、結城城主であった結城秀康公(1574~1607)は、父の徳川家康公から越前国68万石を拝領して、初代福井藩主となりました。翌年、越前に入国した 秀康公は、直ちに福井城(当時の名称は北ノ庄城)の大修築に取り掛かり、慶長11(1606)年には四層五階の天守のある壮大な城が完成しました。 福井城の形態は平地に造られた平城で、本丸を中心に、堀と郭(曲輪)が四重、五重に取り囲む環郭式城郭と呼ばれるものです。本丸 の西側、福井市役所の北側に位置する中央公園は、西二ノ丸や西三ノ丸のあった場所で、西三ノ丸には藩主の住居である御座所が 設けられていました。また、西三ノ丸の西方には、大名広路(現在のフェニックス通り)があり、通りに面して家老職などを勤める上級 家臣(高知席)の屋敷が建ち並んでいました。