敦賀城跡で感じる名将の気配。
敦賀城跡の特徴
大谷吉継が居城した敦賀城跡の歴史的な石碑があります。
敦賀城跡は、本来の城の面影は薄いですが、静かな雰囲気が漂います。
駐車場が近くの真願寺やお寺にあり、訪問がしやすいです。
石田三成との関係が深い大谷吉継の居城。大谷のエピソードや関ケ原で大谷の墓を見たりしてこの城に来ました。今はお寺の隅に石碑が残っているのみです。
江戸初期の一国一城令で廃城となりました。この結城町が全部の城跡のようです。ここ真願寺に礎石が1つ残されています。寺の北側東西に流れる川が堀の名残とか。寺の門も補修はされてますが、けっこう古いものです。もしかしたら城の遺構かもしれませんね。跡地は敦賀県庁になったりもしましたが、いまは小学校と宅地になっています。
お城はないけれど、真宗のお寺さんがあります。素敵なお言葉が掲げてありました。背筋がピンっとします。
今更ながら言う事は有りませんが、大谷刑部吉継の城跡です。今はお寺ですので節度を持って参拝して下さい。
菩提寺で有り、住職の人柄がとても良い御方です。
小学校とお寺に面影が残ります。
『大谷義吉継 敦賀城跡』の石碑が建っています。昔は今の感覚で言うと、日本地図が上下逆で、ここが表日本の海運の中心地だったところ。そう思うと、趣がありますね。
未だに戦場の臭いのプンプンする時代におもいっきり平城ってめっちゃ珍しいよなー💦名将大谷吉継はいったいどんな了見で敦賀城を建てたんやろ?
敦賀城🏯の城主は、大谷吉継です。石田三成の唯一の友達です。お互い長浜の出身で、秀吉の三献の茶で有名な、時代をともに、すごしています。長浜城城主の豊臣秀吉は鷹狩りに向かい、喉が渇いたので、近くの観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄り、この寺で小姓をしていた三成が秀吉にお茶を振る舞います。一杯目は、喉が渇いていて沢山飲みたいので、ぬる目のお茶を振る舞い、二杯目は少し暑いお茶を三杯目は、熱い茶を振る舞いました。この行為を見て感心した秀吉は、三成を秀吉の小姓として取り立てています。これが秀吉と三成の出会いで三献の茶としてのこっています。また2人の蜜月ぶりの逸話があり、吉継は今で言うハンセン病に罹患していましたので、茶会のとき、吉継の飲んだ茶碗は感染の恐れから、誰ものみたがりません。その時三成は、躊躇することなく、口をつけ飲み干します。さらにもう一杯飲みたいといっています。また関ケ原の闘いのとき、大谷吉継は、東軍に組するように三成に進言しますが、最終的には、友達として、死を覚悟しながら西軍に入り三成を支えてます。敦賀城は🏯敦賀港から100メートルぐらい入ったところにある、平城です。浄土真宗大谷派の真願寺には、敦賀城の基礎石がのこっています、まえの川は敦賀城の堀だといわれています。また近くにある、敦賀西小学校の正門横に、敦賀城の説明板があります。この辺りまで城跡がありました。グランドの下には、城館あとの礎石などがみつかってます。アクセスはJR敦賀駅から3番のりば敦賀周遊バス🚌で15分の「お魚通り」下車し徒歩10分でいけます。お魚通りには、海鮮丼や、蕎麦屋など数軒並んでいます。うお吟さんは海鮮丼などで有名でGO to eatにも参加されていて、昼時ですと40分待ちぐらいです。
名前 |
敦賀城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.3 |
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お城跡と有りますが敷石が有るだけですお参りをさせていただきました駐車場はお寺の駐車場に止めさせていただきました。