彦根藩の美しき庭、楽々園。
楽々園(槻御殿)の特徴
彦根藩4代藩主の井伊直興によって造営された庭園です。
槻御殿として有名な隠居所としての歴史があります。
美しい日本庭園が楽しめる免费見学スポットです。
彦根城跡内の玄宮園と共に「玄宮楽々園」として国の名勝に指定。玄宮園を借景とした御書院から望む枯山水の庭園は、昔池が広がっていたそう。無料で公開されています。前日に降った雪の残りで、枯山水が少しだけ雪化粧されてましたー。
かつてのお殿様が暮らしていらしゃった下屋敷です。今の時代に現存している事すら大変貴重だと思います。建物には入れませんが無料でお庭から建物の外観が見る事が出来ます。こちらのお庭は玄宮園と違い枯山水、玄宮園へと繋がっています。
彦根城と並んで素晴らしいのがこの楽々園と玄宮園井伊直興により1677年に造営が始まり1679年に完成彦根藩の二の丸御殿で、「槻御殿」と呼ばれていました御殿部分が楽々園、庭園部分が玄宮園是非一度はお城と共に訪れたい所です。
滋賀県彦根市の彦根城に隣接している施設で、彦根藩4代藩主の井伊直興により1679年に下屋敷として築造されました。ケヤキで作られた華麗な御殿で、有名な大老井伊直弼の生誕の地だそうです。代々増改築されていて井伊直弼の兄直亮の時代に楽々之間を増築して以来楽々園と通称されるようになったとのこと。もみじが綺麗に色づいていました。訪問時期:2023年11月。
ひこにゃんに会いに。皆さんひこにゃんに釘付けでしたが、ふと庭園に目を向けると本当に美しい庭園が見れました。
面白い作りの建物。玄宮園の散策のついでに見るのも良いと思います。建物の中には入れませんでした。
無料で観られる小さめの庭園。隣の玄宮園とセットで観覧。滞在時間は10分。
22年10月12日に訪れました。『楽々園』は、延宝5年(1677年)に彦根藩4代井伊直興(なおおき)によって造営され、江戸時代には「槻御殿(けやきごてん)」などと呼ばれていました。下屋敷であると同時に隠居所としても使用されていました。玄関棟、御書院棟、地震の間、楽々の間などの建物が並んでいます。建物の中は、玄関棟の入り口付近しか入ることは出来ませんでした。御書院棟前に広がる楽々園庭園は、枯山水庭園で、迫力がありました。
楽々園は工事中外観を遠目で見たのみ、早く華麗に修復されてきたらご対面ですね。槻御殿名前がいいですね。でも、遠くに見えても趣きは威厳と風格が有りました。
名前 |
楽々園(槻御殿) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0749-23-0001 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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井伊家の代々藩主によって増改築がなされ、社交の場、隠居所等に使われた所だそうです。幾つかの建物と回遊式の庭園で構成されており、鳳翔台という所ではお茶を頂く(¥500)事も出来、暑い中少しゆっくりする事も出来ました。