福知山線事故の教訓、忘れません。
祈りの杜の特徴
福知山線事故現場に位置し、記憶を風化させない重要な施設です。
事故を繰り返さない決意を感じさせる厳粛な空間が広がっています。
遺族のために神聖視された場所であり、整然とした美しさが感じられます。
毎日この路線を利用している者です。開館時間は8:00〜20:00場所は尼崎駅と塚口駅のちょうど中間くらいでしょうか。私は塚口駅から歩きました。徒歩10分ほど。敷地内は一切撮影禁止です。事故現場のマンション(当時8階建)の1階から4階部分が残され、雨風を防ぐ屋根、外壁が設けられています。外には慰霊碑、建物地下には資料館が有ります。資料館では遺族からの手紙がタッチ式パネルで読めるようになっていて、涙無しにはとても読めません。毎日普通に乗っている電車に乗っていただけなのに…当時のニュース映像がリアルに蘇りました。ご冥福をお祈りするとしか言いようがありません。
たまたま尼崎を訪れる予定があり、近くなのでこちらに行ってみようと下調べもせず伺いました。日曜日の夕方15時過ぎ、入口の前で佇む私に警備員さんが気づいてくださり、「簡単な記帳をしていただき、中での写真撮影NGであることを了承頂けるならどうぞ」と案内してくださいました。東京生まれ東京育ち東京在住の私は、大阪の大学に4年間通っており、2005年4月25日は三回生に進級して間もない時でした。だらしない生活をしていた私は、その日も昼前まで爆睡でした。起床した際、東京にいる母親からの着信履歴で埋め尽くされた携帯電話に気付きすぐ折り返すと、「まさかないとは思うけど、でも、もしかしたら…」と心配していた母をようやく安心させることが出来ました。そして、促されるまますぐにテレビをつけ、ようやく今、大阪の目と鼻の先の尼崎で何が起きているのかを知ったのでした。施設内の展示品の数々を拝見し、まさに当時の記憶、悲しみ、虚無感、怒りなどがよみがえりました。毎日当たり前に電車に乗れて、目的地まで到着できることのありがたみに感謝です。そして、亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げると共に、お怪我をされた方々、御遺族の方々に心より哀悼の意を表したいと思います。長文・乱文、失礼いたしました。
生活圏ではありませんが、リアルに毎日新聞報道されていたので気になっていた場所ではありました。尼崎に用事があり、初めて訪れました。ガードマンの方が入り口にいらっしゃり、鉄道関係か遺族の方か確認されました。入るのに記帳します。リーフレットを頂き撮影、動画も禁止。と説明を受けます。慰霊碑にお花が手向けられています。現場のマンションの一部が保存されて、線路側からは直接見えないようになっています。お供えも何もなく手ぶらで来てしまったので、マンション地下駐車場前にお地蔵様が建立されており、お線香はあげさせてもらいました。事故当時の資料等も公開されており、中に入らせてもらいました。別の部屋に当時の新聞や写真、書籍も多く展示されています。救出に携わった方の声や被害に遭われた方、家族友人を亡くした方の言葉も拝見できます。見学に来た方の言葉も手書き又はパソコンで記入することもできます。(名前無記名、非公開も可)当時をご存知出ない方も鉄道関係者の方が訪れることが多いようです。ガードマンさんはとても礼儀正しい方で神聖な場所であることもあり、背筋が伸びる思いでした。機会があれば是非訪れて頂きたい場所です。
2005年4月25日、戦後最大の鉄道事故がここで起こりました。亡くなられた方々へのご冥福をお祈り致します。
この場所で17年前(令和4年現在)にたくさんの人が亡くなれて今でも後遺症が残る人がいることで正直、鉄道事故の中で1番記憶に残る場所だと思います。そして今回、JR西日本 宝塚線と福知山線に乗車することがあり、そのついでに訪問させてもらいました。中の写真撮影は禁止されています。なので写真はもらったパンフレットの写真のみです。基本、マンションのとこも撮影禁止なのになぜ載ってるのか不思議です。撮影がOKされてるとこはどうやら線路挟んだ先はOKと警備員のおじさんに教えてもらいました。
尼崎市民の者です。事故当時は赤ん坊だったのでリアルタイムでの事は記憶にありませんでした。ただ大きくなってから同じ尼崎で大きな事故があった事を知って、気になったので訪れてみました。入ってすぐの所は大きな芝生が広がっていて、真ん中に慰霊塔が立ってあり花が手向けられていました。亡くなられた方を弔う静寂な空間だと思いました。更に先に進むと電車が衝突したビルがコンクリートにヒビの入った痛々しい姿のまま残っていて事故の大きさを物語っています。JRは今も運通していますが、壊れたビルの横を通っていく電車を見て当時何があったのだろうと複雑な気持ちになりました。他にも併設されている資料館には事故の状況を詳細に記した写真や記事、遺族の方が書かれた手紙などが展示されてあり事故ついてに考えさせられる空間となっています。入館時には記帳が必須で、自分の気持ちを手紙で表せる場所もあります。事故について命について真剣に向き合える貴重な所だと思います。
事故の関係者としてではなく、兵庫県民としてお参りさせて頂きました。忘れ得ない事故です。現場には、被害者や御家族の悲しみや辛さが積み重なっています。しかし、加害者としてのJR側の取り組みが、この場所により伝わってきました。訪問させて頂けて、良かったと思います。帰りはJR職員様に深々と頭を下げて頂き見送って頂きました。事故の御霊にお祈りさせて頂きます。
当時の教訓に学ぼうというJR西日本の決意が伝わるとともに、何があっても安全だけは最優先にせねばならないという意識を再認識させられる。同時に、被害者やご家族のことを思うと胸が痛くなる。平日の朝に訪問したが、JRの社員の方が献花しに来られていた。守衛さんのところで記帳し、30分くらいで一通りは見学できる。
当時は福知山線を利用して通勤していたので愕然となりました。JRの職員が何かに怯えながら乗務しているってのを彼らが発する雰囲気から体感的に感じていて、おぃおぃ何だか怖いよと常々感じていたんです。出勤後にニュースが入ってきた時は絶句でした。黙祷を捧げる場所なのは勿論ですが、仕事に追われると何が1番大切なのかが飛んでしまうと思うのです。そんな大切な事を再確認する上で重要な場所ではないでしょうか?施設はJR西日本の威信を掛けて維持してる感をひしひしと感じます。場内に入るには記帳が必須、また施設内は写真撮影が禁止となっています。併設されている資料館は事故及び安全に関する展示資料が充実しており、追悼空間も確保されています。
名前 |
祈りの杜 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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福知山線事故現場に作られた祈りの杜。後世にその記録を残すべく作られた。この悲惨な事故で亡くなった方々を弔う気持ちで訪れるべき。当時の現場がそのまま残されている他、祈念碑もあり、亡くなった方々の名前が刻まれている。地下の資料館には事故当時の写真や新聞などの報道資料が多く残されている。遺族の方々の手紙なども目を通すことが出来るが、それらを見るといかにこの事故が悲惨なものだったのかを感じ取ることができる。広島の原爆ドームを訪問した時のようななんとも言えない気持ちになった。当たり前だが写真撮影は禁止。遊び半分で行く場所ではない。