歴史を感じる旧海軍墓地。
長迫公園の特徴
日本帝国海軍の歴史を物語る貴重な史跡が並ぶ場所です。
戦艦大和戦死者之墓がある旧海軍墓地として一見の価値があります。
多くの艦船の慰霊碑が立ち並ぶ、静かに参拝できる公園です。
帝国海軍の戦没艦慰霊碑がずらりと並んでいて圧倒されます。戦艦巡洋艦クラスから駆潜艇、哨戒艇といった小艦に至るまで見渡す限り大小さまざまな慰霊碑がありました。 呉の海軍関係見学の後、是非ここにも来てください。特に印象に残ったのは航空母艦信濃の大きな慰霊碑で、そこに記されていた兵装に「12サンチ28連装噴進砲」とあった事です。 確か、この当時最新鋭の対空火器は設置前に沈没してしまった・・・と思いましたが、事実上未完のまま沈没してしまったので、せめてもの餞(はなむけ)だったのかとも思われました。
旧海軍墓地。色々な軍艦の慰霊碑がある。常にボランティアの方々が綺麗な状態にしてる。呉市内を一望できる。
明治23年(1890)、海軍軍人などの埋葬地として開設。戦艦「大和」の戦死者の慰霊碑をはじめ多くの合祀碑、個人碑などが立つ。映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影が行われた場所でもある。
8月15日終戦記念日に参る事ができました今の世の中を見て精霊となった方達は何を思うか過ちは必ず繰り返されるなぜなら欲望の世界だから。
海軍墓地に隣接したこじんまりとした公園。駐車場は道の反対側に10台弱程度でしょうか?あるようです。戦艦大和の慰霊祭が行われたタイミングに訪れて、ちょうど桜が咲いてました。
海軍墓地として、「戦艦大和戦死者之墓」などの合祀碑が並んでおり、戦没された軍人を偲ぶ場所として、一見の価値があると思います。訪れた時は、桜が満開で、美しい風景を満喫することができました。
公園となっているが、実際は呉の中心部の外れにある、旧日本軍の艦船搭乗員が合同で祀られている墓地である。写真にもあるが特に大和の戦死者碑が一番有名で、大和会により墓地の一番目立つ場所に建立されている。今は定期的に市の職員が清掃に訪れている様で、他の口コミにあった掃除をして欲しいと言う声の心配はしなくても良い。公園そのものが山の崖に作られているので、頂上まで登ると写真の様な展望がいただける。しかしナビに任せて行くと公園をスルーして裏手にあるとんでもない激坂悪路に連れていかれるので要注意。呉市方面から来た場合にもしもナビが公園近くで左に曲がれと指示したらそこは右に進んで欲しい。さて、この公園は敷地内に簡単な資料館があり、過去に公園で開かれた慰霊祭の写真を始めとした資料を閲覧する事が出来る。写真3枚目はここでしか見る事の出来ない、大和生還者の写真で慟哭の海の作者である能村副長が記述していた第1回戦艦大和慰霊祭の様子である。大和生還者は吉田満が一番有名だが、能村副長のお顔を拝する事が出来るのは恐らくこの資料館だけであろう。追記戦艦大和慰霊祭は今日の戦艦大和遺族会とは事実上異なる団体が執り行ったこともあり、この能村副長の写真は既に関係者により封印されてしまっていた。このファイルがあれば、戦艦大和の戦後史の研究に大いに役に立った筈である。戦艦大和は人が考える以上に闇が深い。
旧呉鎮守府に所属していた艦船だと思いますが、沈没した艦船の多くの墓石が有りますので、「鉄のくじら館」「大和ミュージアム」へ御越しの際は是非とも、「旧海軍墓地(長迫公園)」へ!
父の従兄(祖母の甥)が戦艦大和戦没者です。大和以外の慰霊碑についても、どういう状況で艦が沈没し戦没者を出したのか勉強させていただきました。供養の必要性を改めて痛感したところです。
名前 |
長迫公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0823-25-1362 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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貴重な史跡: 日本帝国海軍の歴史を物語る貴重な史跡であり、歴史ファンにとっても魅力的な場所です。