津軽藩祖を祀る黒石神社の手書き御朱印。
黒石神社の特徴
印刷や書置きではなく、しっかり手書きの御朱印をいただけます。
黒石城の御城印を購入可能な、由緒ある神社です。
津軽藩藩祖を祀っている、心落ち着く場所です。
2023年12月9日に参拝しました。明治12年に黒石藩祖津軽信英(のぶふさ)を祀って創建されました。平成25年に弘前東照宮を合祀するにあたり、養母満天姫(2代津軽藩主信枚の正室)もお祀りしています。2代津軽藩主信枚(のぶひら)のお手付きとなった藤(後の智鑑院)は、信英を産んだ後に盛岡采女信利に嫁しています。満天姫は、信英を養子に迎えました。3代津軽藩主信義からすると信英は、腹違いの弟ということになります。信義が早逝したため、嫡子である4代津軽藩主信政は、幼少でした。幕府の裁量により、信英は、信政の後見人となり、藩政を切り盛りすることになります。その時に津軽藩から5千石分知され、黒石藩が新設されました。更に黒石藩は、分家も成立した時期もあり、津軽宗家、黒石本家、黒石分家の3系が併立します。その後、更に5千石を加えられ、旗本から大名となりました。この神社の宮司様は、黒石本家当主の方です。社門は、黒石陣屋で現存する唯一の建造物だそうです。
なかなか立派な神社でした。社務所で黒石陣屋跡の御城印も販売されています。黒石陣屋跡近くの無料駐車場に駐車して参拝出来ます。黒石陣屋跡と一緒に訪問をお奨めします。
黒石藩の祖である津軽信英を祀っている神社。境内には東照宮があるので徳川家康公も祀っている。御朱印を頂きましたが徳川家の家紋のスタンプがありました。
御朱印は印刷や書置きじゃなくしっかり手書きの御朱印をいただきました。お昼休み時間ですくつろいでいらしたところありがとうございました。
黒石市役所の向かい側にあるコンビニの裏手にある神社です。明治時代に創建された神社で、黒石藩の祖である津軽信英を奉っています。入口にある立派な門は黒石陣屋の大手門近くにあった廟門(びょうもん)で、江戸時代のものです。本殿が立派で一見の価値があります。敷地内に「東照宮」があり、徳川家康と津軽信英の母、満天姫が祀られています。御幸公園に駐車して歩いてすぐです。
20200404ニュースで新型コロナウイルス感染防止のため4/10(金)夕方からGW明けまで弘前公園立入禁止になると流れていたので、急遽第1回弘前市弾丸ツアーに行って来ました!岩木山周りの神社で参拝を済ませ、カーナビでecoモードで帰り道を設定した道中に鎮座する「黒石神社」へ向かいます!小さいですが威厳を感じる神社さんです!黒石神社:青森県黒石市大字市ノ町鎮座。江戸時代の寛文2年(1662年)に黒石津軽家の祖とされる「津軽信英(のぶふさ)」が弘前城で死去すると、黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬したのが始まりと伝えられています。陣屋とは、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷のことです。黒石陣屋は、今の黒石市民文化会館から御幸公園へかけての一帯にあったそうです!明治時代に入り黒石陣屋が廃城になると、旧家臣達は藩祖の遺徳を偲び明治12年に神祭願いを県令に提出、社殿建立に至ったとの事です!黒石神社には、青森県重宝に指定されている「金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵御神刀」と呼ばれる御神刀等の社宝あるそうです!津軽家のご子孫が、津軽藩のお宝を大事にお守りしているとの事です!参拝を済ませて、社務所で摂社の東照宮と併せて2種類の御朱印を頂きました!20220807浪岡城址弾丸ツアーに出掛けました!昨日の弘前ねぷた祭りで、時間が無くて立ち寄れなかった弘前方面忘れものを巡りに行きました!浪岡城跡案内所で続100名城スタンプをget!「浪岡八幡宮」で参拝を済ませ、「青森市中世の館」で「浪岡城御城印」購入し、帰り掛けに猿賀神社で参拝を済ませ、本日最後の「黒石神社」へ向かいます!黒石神社の裏手にある参拝者用駐車場に車を停め、表に回り鳥居から境内へ入ります!あらあら、境内は修復中なのか整地用重機が2台鎮座してました!拝殿と東照宮で参拝を済ませ、社務所で東照宮と併せて2種類の直書きの御朱印を拝受致しました!ん?「黒石陣屋跡」御城印が販売されていたので、話を伺った上で購入しました!
黒石陣屋(黒石城)の御城印を購入することができます。
御朱印をもらいに行きました。落ち着いた場所です。
御朱印をいただいた。黒石藩祖 津軽信英を祭った神社。いろいろあった弘前東照宮もこちらに遷移されてる。
| 名前 |
黒石神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0172-52-2798 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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御朱印をいただきました。手作りの飴(鶴の折り紙の中に入っています)をいただきました。参拝の栞をいただき読んで見ると前夜祭(宵宮)の前前日でした。