源頼朝ゆかりの凛とした建堂。
七騎堂の特徴
源頼朝ゆかりの建堂が厳かな雰囲気を醸し出す寺院です。
石橋山の戦いを背景に持つ歴史的な由来があります。
七騎にまつわる伝説が響く、深い歴史のある場所です。
禅寺成願寺の境内に佇む、源頼朝ゆかりの建堂で、凛とした立ち姿は時の流れを感じます。
石橋山の戦いで敗北し、山中をさまよっていた源頼朝公主従八騎は、土肥実平が用意した船で安房に向かうことを決めますが、源氏にとって「八騎」というのは数は、平治の乱に敗れた父の源義朝が落ちのびるときが八騎だったといわれているため、不吉な数とされており、七騎にするよう土肥実平に命じたと伝わっています。その七騎の像を祀ったお堂が土肥実平の館跡である城願寺に建立されています。その七騎は、安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、源頼朝、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱となります。また、七騎から漏れたのは、土肥実平の嫡男 土肥遠平と伝わっています。実は、土肥遠平の妻は、伊藤祐親の娘であったことから、裏切りを疑ったのでは。。。とも云われています。なお、下船させられた遠平は、和田義盛の船に救われ、安房で無事に再開することになります。ただし、土肥遠平と伊東祐親の娘の間に生まれた万寿は、遠平の船にも乗ることができず、父親の土肥一族は源氏に、母親の伊東一族は平氏に別れてしまったことを嘆き、海に身を投げたと伝わっており、その万寿を祀る児子神社もお隣の真鶴にあります。なお、城願寺には、七騎堂だけでなく、土肥一族の墓所もありますが、土肥実平と遠平のお墓は仲良く並んでいます。
| 名前 |
七騎堂 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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石橋山の戦いで敗れた源頼朝以下主従7騎の像を祀った御堂城願寺本堂向って右側。