浦戸城跡で長宗我部の歴史を感じよう!
浦戸城跡の特徴
四国の覇者・長宗我部氏の最後の居城、浦戸城跡です。
戦国時代の歴史が感じられる堀切や天守台遺構が残っています。
龍馬記念館の向かいに位置し、歴史情緒あふれる散策地です。
浦戸城(うらどじょう)は、戦国時代に長宗我部元親が居城とし、山内一豊も高知城に移るまで居城としていました。現在は県の史跡に指定されています。戦国時代に本山氏によって築かれ、その後長宗我部氏が支城としました。1588年に長宗我部元親が大高坂山(現在の高知城の場所)に築城しようとしましたが、治水に失敗し、1591年に浦戸城を本拠としました。元親の死後、息子の盛親が関ヶ原の戦いで敗れ、長宗我部氏は改易されました。
坂本龍馬記念館に入る前に偶然、天守跡があることを知りました。桂浜の背後の山一帯が浦戸城だったそうです。まわりに石垣の一部、堀切が残されています。この天守跡には、1分もかからないうちに到着し、城攻めの最短記録達成です。神社になっております。また、桂浜SHIP’S MARKET内にある桂浜ミュージアムに浦戸城の復元ジオラマがあります。こちらは必見ですよ!
長宗我部氏最後の居城である浦戸城ですが、一大観光地桂浜に隣接するため昭和の古くから開発が行われ、城の中心部には国民宿舎や坂本龍馬記念館が建っていて城の遺構は大きく破壊されています。わずかに残ってるうちで最も見るべきものは、長宗我部の城らしい三重堀切でしょうか(道がぶち抜いてしまってますが…)。龍馬記念館の駐車場から、西の林の中へ歩いていくと見えてきます。遺構をぶち抜いて道を作っておきながら「堀切を保護するために、中へ入らずに遊歩道からご覧ください」とあるのがなんとも言えません…まあ、見事な三重堀切の片鱗はうかがえます。あとは天守台。天守台の前の取ってつけたような石垣は、国民宿舎の工事で出土した石垣の石をそこに再構築したものらしいです…天守台周りには本物の石垣の痕跡らしき石も見られます。あと国民宿舎の敷地内に保存されてる石垣もあるようです。
龍馬記念館を訪れた時目の前に「浦戸城跡」とあったので上にのぼってみました何かあるのか?と聞かれたら特に何もと、答えることになりますが簡単にのぼれるので興味がある方はぜひ上には小さな神社もありました。
坂本龍馬記念館の至近、というよりは城跡に記念館が設置された感じのようだ。山城でもあり海城でもあるようだ。
長宗我部信親様亡きあと、元親様がこの地で水軍を見ながら偲んでいたかと思うといたたまれません。というか、坂本竜馬博物館に城跡を削られ過ぎてる💢社まわりも草木だらけで桂浜が見えない。もう少し手入れしてあげて。
関ヶ原で破れるまではここが高知の都やったんやなーまさしく栄枯盛衰をまんま表した城跡です。
実際に行ってみるとほぼ削られてる。石垣が少し残ってるぐらい。
戦国時代に名を馳せた四国の雄・長宗我部氏最後の居城。龍馬館の駐車場からすぐなので、寄りやすいです。
| 名前 |
浦戸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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長宗我部氏最後の居城。城址自体はほぼ何も残っていません。1枚目の石碑横にある階段から数段上がると鳥居があり(2枚目)、その先の階段を10〜20段ほど上がると天守跡です(3、4枚目)ここ単品を目指すのではなく、向かいにある「坂本龍馬記念館」へ行ったついでに見るのが正しいかもしれません。それほどにアッサリと終わります。もっと何か残していて欲しいものですが、城址の大部分を記念館が占めてますので致し方ないでしょうか。記念館自体は坂本龍馬を主とした幕末メインの展示内容でしたが、一部浦戸城の紹介もされています。まずは記念館を見てからの登城をオススメします。