卑弥呼の神秘が息づく。
天石門別八倉比賣神社の特徴
170段以上の長い石段を登った先にある、荘厳な拝殿が特徴的です。
天照大神の葬儀に関する社伝があり、神秘的な雰囲気が漂っています。
卑弥呼の墓とも言われる五角形の石組がある、珍しい奥ノ院があります。
静寂の木々の中を石段を登りと、気延山の中伏に鎮座する拝殿。阿波国の一宮として地域の人々守られている神社。(あめのいわとわけやくらひめじんじや)と読むと思い浮ぶのが天岩戸です。この気延山に数多くの古墳が有り有力者の古墳も発見されている。
古くからある神社との事です。この辺は縄文時代の遺跡もあり古くから人々が住んでいました。神社の近くには多くの古墳があり、そこで大きな真っ黒なアゲハ蝶の出迎いを受けました。
長い石段がとても雰囲気のある神社です。神社の目の前まで車で来てしまいましたが他にも来られた人との車の離合で難渋しましたので少し大変ですが下の駐車場から歩いてくることをオススメします。
2023年4月18日 きました。天照大御神のお墓ということでした。掃き掃除も丁寧にされていて、綺麗でした。大変貴重な場所だと伺えます。
通常、「天岩戸」と充てていますが、本家では、「天石門」と充ててありますね。また、わざわざ「別」と入ってますから、気を付けなくてはなりませんね。八倉比売様と言えば、神武天皇が東征する前の時代にイスラエルからやって来た方ですね❗船にアークを積んで来たと言われています❗アークと言えば(三種神器)が入っている箱です❗この箱のレプリカは、京都の祇園祭や剣山の御神輿祭でも見ることが出来ます❗山車(だし)の紋様が中東のものが飾られているので想像できますね❗祇園祭とは、中東イスラエルのお祭りを再現して、平安京での第二のエルサレムの再構したと言う祝いの御祭りです❗八倉比売様は、徳島県に辿り着いた時に名前を変えて活動していました❗預言者でもあるので【ヒミコ】と名乗りました❗この地域の国を統治していたのは「スサノオ様」です❗スサノオ様が【アーク】を【ヒミコ様】に返す代わりにスサノオ様は、王位に就かせて欲しいと【ヒミコ様】に約束したのです❗また、宗像三女神もスサノオ様の家来にしたいとの申し入れに了承しました❗だから、スサノオ様は、徳島県の王位に就かれたのです❗本当のヒミコ様の御心は、孫のニニギノミコト様に徳島県の王位に就かせたかったのですが❗そして、スサノオ様は、古事記にも書いている通り、神武東征を果たします❗奈良県桜井市の大神神社は、スサノオ様を祭っているのです❗ヒミコ様は、亡くなります❗亡くなった後は、【天照大御神様】の襲名なりました❗そして、伊勢には、二代目の天照大御神様が送られたのです❗初代の天照大御神様は、女性であり預言者であるヒミコ様でには、てすから、魏志倭人伝なは、預言者として描かれ、ヒミコ様と話せるのは、一人の男性とのことですが、それが王様であるスサノオ様だと推測します❗亀石のスサノオ様と鶴石のヒミコ様が【かごめかごめの歌を歌い、後ろの正面だあれ❓】と伝承されていますが、二人の後ろには、真名井の神社があります❗真名井ですから、【マナ】であり、イスラエル王の【マナセ王】だと理解します❗マナセ王は、ヒミコ様の祖母のヘフシバ様、または、お妃のメシュレメテ様かと思われます❗この天石門別八倉比売神社は、移設されていて、何処に建ててあるのかと言えば、前方後円墳の頭の部分なのです❗そして、誰の古墳かと言えば、スサノオ様の古墳なのです❗もし、参拝されるなら、マナーを自覚しておかないといけないと思います。緑色の石は、京都へも運ばれたようです。By ロックベル。
参道の長い階段を登ってゆきます、御朱印は、阿波史跡公園 管理棟と鳥居の間に社務所があります。
お社はとても荘厳な雰囲気で、素晴らしい建物でした。自分の下調べが足らず、本殿すぐの所まで車で行ってしまい難儀しました。この先車両での通行が難しいなど、案内があると助かります。
鳥居をくぐってから、本殿までの道のりが長い。ハイキングロードを歩き、階段を登ると本殿が見えてくる。本殿のご祭神は徳島に来て初めて聞いたお名前。徳島では、この神様多いのかな?こちらの神社は古くからある神社のようだ。本殿の背後に、小さな祠があり、そこから階段を登ると五角形の石積みがあり、石が祠上に積まれている。本殿に向かう階段以上に、独特の空気感が漂う。この辺りは古墳がたくさんあるようだ。古い時代から色々あったのかもしれない。
御祭神を大日靈女命(オオヒルメノミコト、天照大神)とする神社です。八倉比売=天照大神と推測されております。(神社の古文書に書かれているらしい)式内正一位(延喜式の明神大社)で旧社格は県社となります。杉尾山自体を御神体としていますが、元は杉尾山を含む気延山の山頂に鎮座していたようです。神社自体が古墳の上に位置しており、社殿部分が前方後円墳の方墳部、奥にある奥の院(卑弥呼の墓!?)部分が円墳となっているようです。摂社としては当山の麓にある箭執神社、八倉比売神社の道中にある松熊神社、当山の奥にある大泉神社、境内にある祠二社となります。境内には石段上った所と社殿前に狛犬、文化十年燈籠、寛延二年燈籠、百度石、当社由緒が書かれた略記板、手水舎などが見られます。雰囲気もよく見所の多い神社で、ハイキングコースにもなっていますので、是非御参拝してください。
名前 |
天石門別八倉比賣神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
088-642-2395 |
住所 |
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評価 |
4.4 |
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縄文から古墳時代にかけて多くの遺跡や古墳を管理整備する阿波史跡公園の一角に鎮座していて、周辺には大小200以上の古墳があるようで、こちらの神社も古墳の上に建てられています社伝によると、天照大神の葬儀の様子が記されているという何ともいわくのある神社です170段以上の長い石段をあがった先に社殿があり、社頭は開けた場所で落ち着く雰囲気です社殿裏手を少し進んだ奥ノ院には、祭壇のような五角形の石組が築かれ、その上につるぎ石と呼ばれる石を祀った簡素なつくりの不格好な石祠があります一説には卑弥呼の墓とのことですが、このあたりには御神気が漂っていて、その異質な形状や様子が妙に気になりました社殿右手の道を200mほど下った先に、神社曰く天乃真名井なる五角形の神泉があり、大泉神社という小祠がひっそりと佇みますが、こちらも神秘的な雰囲気に包まれていますこちらの神社には駐車場がないので、阿波史跡公園の駐車場に駐めてから散策します。