伯耆国分寺跡で春を感じる。
伯耆国分寺跡の特徴
奈良時代建立、聖武天皇由来の貴重な史跡です。
散策用の車道が完備、車でのアクセスも便利です。
倉吉市に位置する、山上憶良歌碑も見どころの一つです。
1970年以来の発掘調査の結果、寺域は東西182m・南北160mの規模で寺域の周囲に溝を巡らせ、溝の内側の南側に築地塀、残り三方には土塁が築かれていることが確認されました。948年(天暦2年)に火災で焼失したと記録が残されています。それを裏付けるかのように塔の付近には火災時に塔が北西方向に倒れたことを示唆する焦土の堆積が残されていました。国分寺(こくぶんじ)は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)があります。国分寺の多くは国府区域内か周辺に作られました。当時、国分寺は国庁とともにその国の最大の建築物でした。そして、全国の国分寺の総本山は奈良の東大寺、全国の国分尼寺の総本山は奈良の法華寺と位置づけられました。
桜の季節の写真です。倉吉の名所のひとつです。是非見て下さい。
社五輪祭りが行われました。花火も綺麗だった。
跡地をきれいに整地されています トイレ有ります。
倉吉市〔伯耆国分寺跡〕に山上憶良歌碑が建っている。 山上憶良 瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして思ほゆいづくより来りしものそ目交にもとなかかりて安眠しなさむ 反歌 銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも 万葉集巻5-802、803。この碑は、平成29年3月に憶良の国守赴任1300年を記念して建てられた。隣に同時に建立された土屋文明の歌碑も建っている。 土屋文明 歌一つ残ることなく此の国に四年の憶良さまざまに思ふ 土屋文明はアララギ派の歌人で、万葉集の研究で知られる国文学者。
かつては、広大な丘陵地に伯耆国の「国庁、国分寺、国分尼寺」が立ち並び、さど壮観であっただろう。今は国分寺跡には「ゲートゴルフ場」が数面あり、多くの年寄りが早朝から「ゲーム」に打ち興じており、そこは「年寄りの遊びの場」と化している。伯耆国分寺跡の「西には国庁跡」が在り、「北には法華寺畑遺跡(国分尼寺跡)」が在る。また近くの「社小学校・前庭」には、「伯耆国分寺石仏」と言われる「異様な表情・愛嬌のある=謎の石仏」が在る。
史跡散策用の車道があるので、車で散策することができます。かなり広いので歩いて回るのは大変だと思います。しかし、車一台が通るのが可能なくらいの道なので、対向車が来るとかなり困ります(1方通行ではない)。所々に車を停めて車内で寝ている人がいました。
奈良時代、聖武天皇の詔により全国に建立された国分寺。ここはその伯耆国分寺の跡地です。きれいに整備されており、隣の法華寺畑遺跡と一緒に散策するのがおすすめ。
| 名前 |
伯耆国分寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://db.pref.tottori.jp/bunkazainavi.nsf/bunkazai_web_view/C9EB8BEAD1CAD2AE4925796F0007FCFD |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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桜やら春の花が咲きましたね。馬酔木の花も綺麗です。散歩がてらに見学もよろしいかな。