海を見渡し伝説を感じる。
柿本人麿終焉の地 鴨島展望地の特徴
久城沖の大瀬とされる歴史的な場所です。
海の底に沈んだ伝説の島を思い描けます。
夕陽を見ながら食事を楽しむことができます。
たまたま自宅近くにあるのを見つけて、フラッと。晴天だったら、よかったかも・・・
万葉集で有名な柿本人麿、その終焉の地(最有力説)と云われる鴨島は、現在水没し、ここから1Km沖合の海中だそうです。飛鳥ロマンに想いを馳せて🍀
日本海の沖あいにかってあの辺にあったといわれる島が終焉の地と言われている、そうで具体例はまったくない。わざわざ行く価値は😑😮💨…
折角の場所なのに名前負けしてます。市として色んな人が来れるよう、駐車場などもっと整備すべきです。景色は良かったです。
海岸の端に、石碑が一本あるだけでした。今日の海は風が強く、白波が立っていました。景色は最高ですが、何かしら寂しさを感じました、
見えない島に思いを馳せて見る夕陽。
海を見ながらご飯食べたくて旅先でGoogleマップ広げて探した公園の近くにありました。サーファーさんがいました。素敵な景色とベンチもあって満足なランチでした。
この説では久城沖の大瀬となっており、久城が浜センターの関係で整備されているが、色々説があり、大塚中須の浜の沖にはこれより大きな浅瀬がありココも鴨島跡と言われている。1300年前の飛鳥時代のことなので、諸説あり過ぎてわかりませんね。
人麻呂さんがなんらかの刑に処されたとされる伝説がある島があったそうだが、げんざいは海の底に沈んでしまっていて展望地からは海しか見えない。
| 名前 |
柿本人麿終焉の地 鴨島展望地 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0856-22-1143 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鴨島があったとされる海をのぞむ展望地です。碑と説明板があるだけです。歌聖 柿本人麿は、神亀元年(724年)鴨島で亡くなったとされています。聖武天皇の勅命で鴨島に人丸社が創建されましたが、万寿3年(1026年)の大地震と大津波によって鴨島は海中に沈み、人丸社は流されました。松崎の地に人麿の尊像が流れ着いたので、そこに人丸社を再建しました。延宝9年(1681年)津和野藩主によって現在の高津柿本神社に移転するまでの654年間、柿本人麿をお祀りする人丸社は松崎の地にありました。