大日堂舞楽で心を奪う!
大日靈貴神社 (大日堂)の特徴
秋田県鹿角市八幡平堂に位置するパワースポットです。
ユネスコ無形文化遺産に登録された由緒ある神社です。
武士の守り神として伝承される神社の歴史があります。
その巨大さは実際に目にし、また中に入ってこそ実感が出来るものである。立地的に近くに駐車場がないのは少し不便。舞楽の時は閉鎖で良いとは思うが普段用に2台分程の場所があれば良いと思った。
とても大きい社殿で大日堂舞楽を行う舞台が中央に備えられ、その上の吹き抜けも見事です。無人で解放されていて境内に車両を止めることができました。
大日霊貴神(天照大神)らを御祭神とする神社。『おおひるめむち』と読み、大日堂とも呼ばれる。建立は523年で718年に再建されたそうです。社殿はかなりの大きさ。天気の良い日は扉が開放されているので内部を見ることができます。毎年1月2日に行われる大日堂舞楽は国の重要無形民俗文化財でユネスコ無形文化遺産にも登録されている。駐車スペースあり。神社に向かって左側に入口があり、境内に乗り入れる事ができます。
大日堂とも言われてます。大日堂神楽に興味を持ち、行ってきました。想像をかなり上回る大きな建物でした。神楽が行なわれる場所に立てて感動でした。普段は授与所にだれもいないようした。御朱印やお守り、御祈祷うけたい場合は、先に連絡した方がよいです。
秋田、青森旅行の際には必ず立ち寄るパワースポットです。古き良き日本の文化を感じることができます。真冬の雪化粧された神社も雰囲気がありますが、真夏の神社もどこか懐かしさ、暖かさを感じることができます。都心で、仕事、育児に疲れた際にはお世話になっている神社です。
R282赤い欄干の橋を渡って300m。古い石灯籠には明治26年のものもありました。狛牛が可愛い。お堂内は圧巻!正面奥に拝殿があります。
しっかりと旅の安全と健康を祈願してきました。
名前に惹かれて参拝をしました 由来を見るとかなり興味深い内容ですね。
Mar'24.2021 参拝並びに画像撮影。神職不在、御朱印ナシ。それでも見所は山ほどに有り。過去、おそらくは神仏習合の頃大日如来を祀った事だろうからか、拝殿が「宝形造」。まさに御堂、かっこよすぎて。見上げるほどに高い伽藍堂のつくりは、2枚の旗を筆頭に曰くありげな図画や子育て中の牛さん親子含め、見飽きることはない。暗さに目が慣れてくると、内部レイアウトが舞台と客席の関係になっている事に気づき、また面白くなる。本殿は切妻妻入りの、山岳信仰修験道の名残りを残した構造。摂社群も楽しく、茅の輪巡りなんかもあったりして。御神木は株元しか残っていないが、それでもかなりの迫力。総じて、来て良かったと思う物件。以下転載。社伝によれば継体天皇の御代、高徳により醴泉を授かった長者の善行を伝えようと、善記2年勅願により大日示現社を創建した。元正天皇の御代、美濃に醴泉湧水し、孝子の徳行により養老と改元され、この地に伝わるだんぶり長者の物語を奏聞したところ、名僧行基を下向させ、養老2年大日社を再建された。この時行基に随行した工匠・音楽師等が、里人に舞楽を伝授したのが、現在の大日堂舞楽である。以後両部神道の堂社として崇められ、寿永2年鎮守府将軍藤原秀衡の命により、堂社の大修理が加えられ、文明18年南部家15代政盛の命で大日堂を修復した棟札が、記録上最古である。元和2年27代藩主南部利直から、社領80石余を寄進され、明治維新まで85石の社領を1里四方の山林の社地によって維持されてきた。寛文5年大晦日の火災で大日堂及び尊像を焼失したが、29代重信により直ちに復建され、以後南部家崇敬、八大社の一つとして、社殿の修理が藩主の命により度々施されてきた。昭和24年社殿全焼し、同26年拝殿は元の9間四面の土台に建立し、幣殿本殿を増築して、同31年竣工する。
| 名前 |
大日靈貴神社 (大日堂) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0186-32-2742 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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毎年1/2の早朝から行われるユネスコ無形文化遺産 大日堂舞楽を観覧しに訪れました。建物内は雰囲気があり、不思議な作りでした。神事が始まってから、その不思議な作りの理由を知り『なるほど』と思わせてくれました。