静かな日々を感じる角館の寺。
北国49番 萬松山 天寧寺の特徴
曹洞宗の寺院で、芦名氏の菩提寺です。
鎌倉から戦国時代までの歴史が感じられる場所です。
芦名家の墓や、教育者の墓も境内にあります。
観音像が印象的なお寺さん。
寺院の門の右側に駐車場があります。
2023年8月17日に墓参しました。会津を治めていた蘆名氏でしたが、天正14年1586年に19代蘆名亀王丸が疱瘡で3歳で亡くなります。幼少だった当主に嫡子が居るわけもなく、20代目の当主を誰にするかで、家中が二分される事態となりました。候補者の一人目は、伊達政宗(貞山)の弟の小次郎(伊達政道)でした。二人目は、佐竹義重の次男の結城義広です。結果的に蘆名氏は、佐竹氏との関係を重視し、わずか12歳の結城義広を当主に迎え入れます。伊達政宗は、伊達氏との関係を軽視した蘆名氏を天正17年1589年の摺上原の戦いで攻め滅ぼしました。敗れた蘆名義広は、実家である佐竹氏のもとへ落ち延びました。徳川の世となり、佐竹氏は、出羽(羽後)に転封されました。蘆名義広も同行して角館を治めることになりました。そのような経緯から、菩提寺であった会津の天寧寺を角館にも開くことになったそうです。山門は、角館城から移築されたものだそうです。
會津の蘆名公が角館に菩提寺があるとは知りませんでした。
桜がきれいです!
花立てがなくなってました。
仙北市角館町上新町にある曹洞宗寺院です。御本尊は釈迦牟尼仏。会津若松市の天寧寺ですが、創建は室町時代の文政4年(1447)に芦名盛信が開山したのが始まりとされ、国替えにより角館へ移った際にも天寧寺が建てられました。山門は角館町で最も古い山門建築として貴重な事から仙北市指定文化財に指定されています。
会津、摺上原で伊達政宗に敗れ、以降実家の佐竹氏のもとで家名を存続させてきた芦名氏終焉の地です。角館の街並みに観光客は訪れますが、こちらにはほとんど人がいません。お寺の門を入って左側、やや上ったところを左折すると芦名一族の墓石が並んでいます。一族が並んで並ぶ墓所、江戸時代の大名墓所をいくつか見てきましたが、細い墓石と相まってなんとも栄枯盛衰を感じさせる墓所です。古い墓石、そして時代を生きた方々の説明書きが随所にあり、人気(ひとけ)のないことも手伝って、思いの外、時間を過ごしてしまいました。が、とてもいい雰囲気だと思いました。御朱印、この時は全く眼中にもなかったのですが、いつかいただきたいです。
静かな日でした。
| 名前 |
北国49番 萬松山 天寧寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0187-53-2904 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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天寧寺(てんねいじ)仙北市角館町上新町曹洞宗。