龍王山を背に時間を感じる神社。
磐座神社の特徴
御神体である龍王山が美しく、息を呑む景色が広がる神社です。
万葉集の歌碑が設置されており、歴史を感じさせる場所です。
自然崇拝の形を残す、古社としての魅力が詰まっています。
2022年12月も押し詰まった頃。中世から続く「矢野荘(やのしょう)」の数ある神社の中でも、一段と古そうな神社名にひかれて訪れました。何せ「磐座(いわくら)」は、古来の神祀りの場所(依り代)なのですから。ずっと、川に沿って自動車を走らせてきますと、両側から山が迫ってくる中に、細い脇道へと案内されました。1BOX車の幅ギリギリに行くと突き当たりにかかる橋の先に⛩️鳥居が建っていました。想像では、神社拝殿・本殿の奥深くに「磐座」の石組があったのですが、簡素な拝殿・本殿の脇に二つの巨石があるだけでした。神の降臨するはずの「磐座」がこんなに低い場所なのか?と思いながら、その場を去りました。○ご祭神・秦河勝(これは、この地に多くある「大避神社」のご祭神と同じになります。)○考察:主に畿内の神社を巡ってきたことから、古い神社の多くは、縄文時代の遺跡から出土する「稲作の跡」とは違う、水田稲作を行う水利施設(井堰と用水路)の維持と管理を行うことに始まる「神祀り」を指していて、神社境内にはほぼ必ず「用水路」が通っていました。ところが、相生市那波、若狭野や赤穂市坂越に鎮座している「大避神社」には、「用水路(人工河川)」がないのです。それは、後世にここに移動してきた人々の神祀りの施設ではないかと思うのです。この「磐座神社」もそのような施設の一つであり、「磐座」の巨石は、この地を襲った「土石流」の跡なのではないでしょうか。
背後の山が御神体かな。氏子さんに大事にされているお社。
自然崇拝の形を残す歴史ある良い神社です。自然に対して謙虚である事はとても大切な知恵だと思います。神社から見て右手に大きな磐座。これが座右の銘のはじまりでしょうか。
他の方の口コミに、駐車場は無いと書いてありましたが、一か八か軽自動車でチャレンジしてみました。結果から申しますと、鳥居の前に1台なら停められます。でも、何度か切り返しして停められる程度の広さなので、ミニバンクラスでは間違いなく立ち往生します。境内は結構広く、巨石、苔、木々がいい雰囲気を醸し出していました。
今はこんなにも廃れていますが、実はとても歴史ある古社です。「播磨国内鎮守大小明神社記」(1181年)には赤穂四社のひとつに挙げられています(残りの3つは上郡町の八保神社、鞍居神社、赤穂市の伊和都比売神社)。神社の背後の山は万葉集にある「矢野神山(やののかみやま)」とされ、境内には柿本人麻呂がこの地に立ち寄った時に詠んだとされる歌を刻んだ碑も建てられています。その御神体である山の頂上に大きな石があり、神様がその石の上に降りた時に石の一つが転がり落ちて、社殿横の巨石になったとのことです。しかしながらその矢野神山、「我こそは矢野神山!」と手を挙げているところがここ以外にも広島県、愛媛県、三重県、島根県などにもあり、実はよくわかっていないそう。拝殿は見た目はよくある村の小社といった感じです。中にはおびただしい数の絵馬が掛けられていますが、やはりご当地ヒーローである赤穂義士の肖像画47枚も忘れずにしっかりと飾ってあります。また天保や慶應と読める絵馬もあり、寂しく小さな古社ながら昔から地元の崇敬を集めていることが伺えます。中でも慶應三年丁卯(ひのとう)九月の絵馬は状態も良く「御宝前」「萩大名之図」などとはっきりと読めます。萩大名は狂言の演目のことで、絵はその一場面を再現しているようです。この神社のすぐ西の山上には感状山城があるので、この辺りは新田義貞の播磨攻めでは戦場となり、豊臣秀吉の上月城攻めではこの神社も戦火にかかったかもしれません。拝殿内にある由緒書には天正 11年 (1583年、本能寺の翌年)11月に社殿をこの地に創建と記載されていることから、播磨平定後の戦後処理の中で再建されたと思われます。もし兵火にかかることがなければ、このお社も往時の立派な姿を今に伝えていたのかもしれません。
奥の院にイキたい。伝説の神社を知りたい。縄文の香り、凄い。
空気感と時間の流れが良かったです。
大きな神社で歴史を感じます。本殿の脇に「座光石」が奉られています。駐車場はありませんので,県道脇のスペースに駐車するしかありません。
県道から龍王山の磐座が見えたとき、思わず息を呑みます。駐車場がないので、近くの公民館に停めさせて頂きお参りしました。境内にも磐座があります。
| 名前 |
磐座神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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この神社は素晴らしいですね。磐座の名から岩石が御神体だと思っていたらやはりその通りで、拝殿の横に存在しています。鳥居や通路に対して真正面にあるのが、この岩であり、本殿は少しオフセットして配置してあるので、岩の方が真の祭祀対象であるとの事。その事を拝殿にある禰宜殿が作られたという冊子で知りました。境内は営繕が適切に入って、清浄な雰囲気があって神社として相応しいです。拝殿内に絵馬が多数あり、四十七士の肖像があるのは、この地域の風物として微笑ましいです。三国志の長坂坡の絵があって、張飛かなと思ったら趙雲の様です。虎髭顔ではないので趙雲でしょうね、神社の絵馬として珍しいと思います。本殿は全体が覆われた建物内にあり、近寄れず秘匿性が高い造りです。正面から1間の本殿が見えますが、屋根の形状が判別できませんでした。