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名前 |
橋本馬吉氏銅像建設之趾 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
橋本馬吉氏銅像建設之趾茶業界に於ける功績を讃えられ昭和貮年六月此の地に銅像建設の所苛烈の大東亜戦争に直面し昭和十八年三月軍需資材として献納するに至りこの度袖師町戦歿者忠魂碑建設に當り其の敷地となしたのである。昭和二十九年十二月建之ーーー四 橋本馬吉 西久保文久元年(一八六一)六月二十日 橋本吉兵衛の長男として生まれた。明治初年より茶業に従事し、松林を開いて茶樹を植え、明治九年(一八七六)より製茶に着手し、草創期の茶業の発展のため非常な努力と苦心を重ねた。明治三十二年(一八九九)三月袖師村茶業組合委員、同六月静岡県茶業組合連合会議員当選、同三十五年(一九〇二)庵原郡茶業組合副組長、同三十七年(一九〇四)三月庵原郡茶業組合長、同月中央会議員に当選、同三十九年(一九〇六)静岡県東部茶業研究所の設立に尽力した。明治四十二年(一九〇九)一月より製茶機械の製造を営み、橋本式粗揉機、茶葉揉捻機、精機、茶葉接手の構造、製茶用火爐、完全燃焼熟風爐などを発明、特許を得て製茶業の近代化に貢献する所多大であった。また望月式製茶機械の特許を譲り受け普及につとめた。大正十四年(一九二五)十月秋葉山境内に茶業界の恩人としてその功績を永久に伝えるため、帝展審査員吉田三郎作のりっぱな銅像が立てられたが、昭和十八年(一九四三)大東亜戦のとき軍需資材として献納された。昭和二十九年(一九五四)十二月その跡地へ忠魂碑を建設し、橋本馬吉銅像跡を表示する小石碑が建てられた。橋本馬吉徳寿像碑文恃德者栄橋本馬吉君文久元年六月二十日袖師村西久保ニ生ル幼年柴田堅節先生ニ就キ報徳学ヲ研究シ万葉之本の徳ヲ立ツルニ在リト確信シ事業ハ総テ徳ヨリ出発スルヲ以テ本義トナセリ明治三十七年庵原郡茶業組合長ニ推サレ次デ静岡県茶業連合会議員 中央会議員ニ挙ラレ大正十四年三月迄二十一年間茶業ノ改善発達ニ尽サレテ巨額ノ私費ヲ費セリ 又製茶機械ヲ発明シテ大ニ斯業ノ振作更張ヲ計リ本郡茶業ノ今日アルハ君ノ力ナリ本組合ハ其ノ功績偉大ナルヲ感謝シ永ク其ノ徳ヲ伝ヘント欲シ寿像ヲ建設シ以テ其ノ徳ヲ表彰ス大正十四年拾月庵原郡清水市 茶業組合出典:『袖師町誌』439-440頁『茶業界』22(7),静岡県茶業組合連合会議所,1927-07. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1589817/1/10