安産の神様、日岡神社で祈願を!
日岡神社の特徴
広い境内でゆったりでき、密にならず安心して参拝ができます。
艦これの聖地としても知られ、重巡洋艦加古の分祀元です。
安産の神様として有名で、倭建命の御神籤も可愛らしいです。
安産祈願で有名な神社で旧社格は郷社。播磨稲日大郎姫命(ヤマトタケルの母)の安産祈願した伝説が残っております。また、古鷹型重巡洋艦2番艦加古の艦内神社としても有名です。無料駐車場あり。
気晴らしとお祈りのために初参拝しにきました。道中は狭くて小さいところを想像してましたが到着すると開けてとても広い!大きい!空気が美味しい!とても神聖でいいところでした。安産祈願で有名だそうなので、一度行って見てください。
日本武尊の誕生に関係するとの事で、訪れてみたかった神社です。広い敷地の神社ですが、境内は良く整備されていて気持ちの良い参拝ができます。駐車場もかなりの台数が停められそうです。御朱印と共に、日本武尊の誕生の描かれた絵馬を記念に買いました。
兵庫県加古川市日岡神社ですね。日岡神社は約1300年の歴史が有り創建は推定730年(天平2年)と言われています。また、安産の神様として有名のようですね。お宮参り等で沢山の参拝者が来られてました。近くには日岡山公園が有り古墳などが有りまた神野地区にも古墳が有るので歴史が深い地域ですね。駐車場は無料です。JR西日本の日岡駅から徒歩約5分です。
平日の午後4時ギリギリに参拝させて戴きました。本殿を閉める直前でしたが、コチラに気づいて下さったご神職が扉を開けて待っていてくださり、とてもありがたかったです。パーキングも広く無料でした。
加古川線日岡駅より徒歩5分。桃太郎のモデルとされる天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)が主神です。1300年の歴史を持つ神社で安産の神様として知られています。駐車場もあり少し広めの神社です。
広い境内なので密にはならずゆっくり参拝出来ますよ。手書きの御朱印を頂けます。
艦これの聖地であり、旧大日本帝国海軍の重巡洋艦「加古」の艦内神社の分祀元である神社です。境内には有志により寄贈された重巡洋艦「加古」の絵が飾られています正月は出店などが境内に立ち並び、人で溢れかえりますが、普段は人もまばらで、日岡公園等も近いことから、ピクニックに最適な場所とも言えます。他にも境内には日清~第二次大戦期に出征した地元出身者たちの慰霊碑もあります。不定期で重巡洋艦「加古」の慰霊祭も行っているようです。御朱印 ¥300
2022年の初詣は日岡さんにしました。境内に続く参道は屋台が何台か出ています。普段は安産祈願などで有名な神社です。お宮参りや七五三など子供の事でお世話になりました。境内の前にある干支の大きな絵馬があり記念撮影をするのにオススメです。
| 名前 |
日岡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
079-422-7646 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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日岡神社(ひおかじんじゃ)。兵庫県加古川市加古川町大野字日岡山。式内社(小)日岡坐天伊佐佐比古神社(ヒヲカ)、旧郷社。主祭神:天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)配祀神:豊玉比売命(とよたまひめのみこと)鸕鶿草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)資料によると、創建は不詳。社伝によれば、神武天皇東征の際に荒振神が悪行を催して悩ませたが、国津神の伊佐々辺命が謀を奏したため、荒振神を退治することができた。しかし伊佐々辺命は戦死してしまったため、天皇は戦勝を祈った玉依姫・草不合命の2柱(神武天皇の父母)に伊佐々辺命を配して、これら3柱を奉斎したとする。一方で根拠は詳らかではないが、天平2年(730年)の創建とする説もある。境内は日岡山の南麓に位置するが、この日岡山には古墳時代前期から中期の古墳群(日岡古墳群/日岡山古墳群)の分布が知られる。中でも代表的な日岡陵古墳(前方後円墳、墳丘長約85.5m)については、『播磨国風土記』賀古郡条にみえる「褶墓(ひれはか)」と関連付ける説があり、それに基づいて現在では景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(ハリマノイナビノオオイラツメ)の陵に治定されている。一方でこの「天伊佐佐比古」を孝霊天皇の皇子である「彦五十狭芹彦(ヒコイサセリヒコ)命(=吉備津彦命)」とする説もあります。この人物は四道将軍の一人として西国へ派遣され吉備を平定したといい、『古事記』ではその際に針間(播磨)の「氷河之前」なる地(詳細不明)に忌瓮を据えてそこから攻めた旨が記され、播磨国とも縁のある人物です。また共に吉備を平定した弟の「稚武彦命」は娘に「播磨稲日大郎姫」がおり、『播磨国風土記』の「印南別嬢(イナミノワキノイラツメ)」と同一人物と考えられ、播磨国の中でも特に当地付近に縁の深い人物であることが示唆されています。この「播磨稲日大郎姫」が当社に安産祈願して「大碓命」「小碓命(=日本武尊)」を生んだともいい、安産の神としても信仰されています。とあります。