ダムの迫力を体感しよう!
生野ダムの特徴
生野ダムは昭和40年代に竣工した立派な重力式コンクリートダムです。
天端を歩くとゲート開閉の機械が間近に見え、迫力を感じることができます。
ダム周辺にはキャンプ場や自然豊かな施設があり、穴場観光スポットとして最適です。
立派なダムです(*´∀`)♪今まで全然興味が無かったのですが、最近ちらほらとダムを訪れる機会が出てきてちょっと旅行とセットで立ち寄るようになりました。珍しいのかどうかは知らないけど、この生野ダムのような放水は初めて見ました。信長、秀吉、家康と戦国の英雄達が直轄地として押さえた生野銀山の近くにあります。ダム湖はめちゃくちゃ広い!こんな内陸にこんなに水が豊かにあるもんなんですねー。民家が少ないんで、何に使われてるのかわからないですが。事務所でダムカードを貰いました(*・ω・)ノ
ちょっとした駐車場とトイレ有り。放水の様子を上から見れました。個人的に静かで人が少なく湖の周りの道も走りやすいので、定期的にツーリングに来ようと思います😆
ダムの上で下流と上流を見渡してダムができる前の上流はどんな風景で村や民家が沈んでるのかと思いをはせる。
とても素敵な所。
ダムカードをもらいました。【以下説明】生野ダム(いくのダム)は、兵庫県朝来市生野町竹野原地先、二級水系市川本川上流部に建設されたダムである。市川は二級河川であるが、流路延長70.7kmと県内では武庫川・千種川とならぶ代表的な二級河川である。流域には姫路市を始め人口が多い地域を擁している。しかしながら当時は河川整備はあまり進んでいるとはいえず、大雨の際には度々増水し沿岸に被害を与えていた。一方姫路市の人口増加によって次第に郊外においても宅地化は進行し、これに伴い堤防の建設といった河川整備が次第に行いづらくなっていた。さらに人口増加は上水道需要の増加をもたらし、かつ播磨灘沿岸の播磨臨海工業地帯は「工業整備特別地域」に指定されたこともあって新日本製鐵や山陽特殊製鋼等の大規模製鉄所が進出、工業用水の需要も急速に高まった。だが、元来瀬戸内海気候に属する播磨平野は少雨傾向が強く、古来より溜池が多く建設されているように水の確保が難儀な地域であり、渇水時には姫路市でも給水制限を余儀なくされていた。こうしたことから、市川の治水と利水を効率的に図るべく多目的ダムによる総合開発が妥当という結論に達し、兵庫県県土整備部は「市川総合開発事業」を1968年(昭和43年)より計画。その根幹事業として生野銀山のある朝来郡生野町の竹原野地点の市川本川に補助多目的ダムを建設することになった。これが生野ダムである。生野ダムは1968年より実施計画調査に入った。ダム建設によって生野町の58世帯が水没する事から補償交渉が持たれ、補償交渉妥結後1970年(昭和45年)7月よりダム本体工事に着手。1972年(昭和47年)10月1日に試験的にダムを貯水する「試験湛水」が行われ、同年末完成した。ダムの型式は重力式コンクリートダム、堤高は56.5m。市川沿岸の洪水調節、姫路市砥堀地点における慣行水利権分の用水確保を目的とする不特定利水、姫路市への上水道及び工業用水供給が目的である。その後ダム上流部の市川本川には関西電力が奥多々良木発電所の上池として黒川ダム(傾斜土質遮水壁型ロックフィルダム・98.0m)を1974年(昭和49年)に完成させるが、更に増大する播磨地域の水需要に対処すべく、兵庫県企業庁は「兵庫県水道用水供給事業」を実施した。この中で生野ダムを始めとする既設の県営ダムの他、黒川ダムや呑吐ダム(志染川)等本来は上水道や工業用水供給を目的としないダムに関しても水源とすることで水需要の増大に対応するものである。この結果1979年(昭和54年)には黒川ダムから姫路市などへ水道用水が供給されることとなり、市川水系の2ダム(生野ダム・黒川ダム)は姫路市の水がめとして大きな役割を持つようになり、水力発電(奥多々良木・大河内発電所)と共に市川水系は地域の発展に欠かせない重要な水系となった。
ドライブの立ち寄り先としては最適かと思います。よい景色が眺められます。
静かです。あまり、訪れる人も多くないところです。青垣へ通じる道路は途中から車1台分の幅になります。
なかなかの迫力でした♪
排水口上から眺めました高さに身をすくめました多々良木マラソンの帰りに寄りました寄り道程度で寄るのがちょうどいい景観ですね。
名前 |
生野ダム |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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ロードバイクで生野ダムへ行って来ました。道中は然程勾配も無く、登り切った地点には綺麗なトイレもあり、皆で撮影して次の目的地へ行きました。